資本主義は発展するが正解とは言えない
私たちが住んでいる日本国は、資本主義社会です。
皆が自由に商売をして、競い合い、その中で次々に新しい技術や商品が開発され、それらは市場に流通します。16世紀ころに起こった産業革命以降、人類は未曽有の科学技術を手に入れてきました。
しかし、私たちは、ここで「資本主義が正解である」と、勘違いしてはいけないと考えるのです。
現在進行中で、地球上では温暖化に伴う予測不能な気候変動が起こり始めており、一刻も早く対処を行わなければならない状況です。各国が協力して脱炭素社会を目指していますが、日本は脱炭素の実現を2050年と掲げているだけで、具体的にはこれからといった状況です。
そんな最中で、「資本主義社会」であることが、この問題解決への足かせになっていると声高々に叫びたいのです。
資本主義は間違いなく科学の発展に貢献する
資本主義社会というのは、営利目的ではありますが、産業や貿易が資本家たち個人により自由に行われます。この事から、より多くの利益を得るために、新しい技術の開発や、商品の開発は間違いなく加速されます。
一方で、この経済システムに対抗するものとしての共産主義では、労働に対する対価を平等に受け取る形となるため、新技術の開発によって個人が利益を得ることが出来ないため、開発は鈍化します。
これは歴史もそのように証明をしてくれていて、疑いようがないでしょう。
資本主義は競争社会で自分優先
資本主義は個人で自由に商売を行うことができるという経済システムであり、その主な目的は個人の利益のためです。もちろん労働者を雇い、自身の商売に活かす場合、労働者もその利益の一部を労働対価の給料として受け取ることができ、こうして資本主義社会は大きな経済の仕組みを作り出しています。
しかし、この仕組みには大きな欠点があります。
それは経済の原動力が、個人の利益であることです。
確かに、新しい科学技術を生み出し、数々の新商品は私たち人類の生活を豊かにしました。しかし、一方で商売がうまくいかない人は、利益が乏しく、生活もままならない人たちも大勢います。資本主義社会では、この現象を貧富の差として度々問題視する傾向があります。ですが、資本主義社会である以上、この貧富の差は避けられない現象でしょう。
資本主義という観点では、貧富の差は問題視されますが、経済的には起こるものなので仕方のないことと捉えられなくもありません。しかし、問題になるのは、地球規模での問題を考えた時の事です。
成功している資本家たちは、多くの利益を上げる一方で、地球上の資源を優先的に大量消費し、地球環境破壊に大きく貢献してしまっています。これは、裕福な人ほど地球に害を成していると言い換えて問題ないでしょう。
しかし、その個人は資本主義社会で認められた行動をしているだけであって、地球環境を破壊しようという意思を伴っているわけではなく、現在の倫理観で彼らを裁いたり批判するのは見当違いでしょう。なので、これは政治の問題なのだと、ホセ・ムヒカ氏はいうのです。
地球温暖化という全人類の課題
困ったことになりました。
私たちが人類の発展にとって正しいと考え、世界中に広げた資本主義社会そのものが、地球環境を破壊していき、近い未来には人類が地球に住めなくなる危険性まで指摘されるような時代になっているのです。
皆さんの近辺でも、近年の異常気象を実際に体験した人も少なくないでしょう。
史上最大の大雨や、見たことのない程の山火事など、既に気候変動は我々人類の科学で予想できる範囲を超えているのです。温暖化を今すぐに止めて解消できていない以上、今年よりも来年は一層激化することになるでしょう。
現在可能な範囲で地球温暖化に対しての対応を進めようと、どの国も率先して脱炭素社会を目指してはいますが、この進め方で間に合うかどうかは正直かなり疑問です。
そして何より、根本の問題である資本主義社会についての対策は行わず、使用する科学技術などに焦点を絞って対応を進めていることが大きな問題でしょう。
温暖化対策は自己の利益にならない
温暖化の対策は、資本主義的な観点から言うと、「利益にならない」ので、皆が協力して推し進めるのが非常に難しい問題と言わざるを得ません。
温暖化対策をしても、食料が手に入るわけでも、健康が手に入るわけでもありません。
もちろん商品だって売れないのです。
アマゾンのジャングルが大幅に伐採され、実に70%が既に森林ではなくなっているということからも分かる通り、資本主義社会では「森にするより畑にする方が儲かる」のだから、地球環境への問題を説いても無駄なのです。
この問題については、政治的な対応をしていくか、個人の利益以外の新たな価値観が生まれでもしない限り、解決が難しいでしょう。
分かりやすく例えると、森林を持っていると国から補助金が出るとか、温室効果ガスの排出に伴って重税を課すなどでしょうか。おそらく経済界は大きなダメージを負い、一部産業は立ち行かなくなるかもしれません。ですが、我々人類は、そういったことを断行していかなければならない、そういう局面であると私個人は感じるわけです。
今のところ2050年の脱炭素を目指す日本だが
日本は2050年に脱炭素を目指すと決めてはいますが、具体的な政策については見えてきません。
菅政権の下で環境大臣であった小泉氏は、海外や国連の会議で、具体的な政策を質問されても明確には言及していません。中身がないと有名にまでなってしまいました。
若い人の方が関心が高く、私たち大人や年配の人たちがもっと関心を持って対策を推し進めるべきとか、温暖化対策を面白く・セクシーに進めることは、非常に重要だという件についても、批判が多いのも頷けますが、個人的には一部同意しています。
これは、先に述べた資本主義の利益に代わる、新しい価値観に通じるものを薄っすらですが感じなくもないからです。温暖化対策が楽しく面白いもので、多くの人が喜んでそれに取り組みできるような社会・政治が構築できれば、私たちは無理せず地球と共に長く繁栄していくことが出来るのではないでしょうか。
まとめ - 私たちにできること、すべきこと -
今回は資本主義社会が抱える、温暖化対策の難しさを改めて考えてみました。
社会主義や共産主義思想を目指す国家であったとしても、その実消費者の社会は資本主義、自由経済であり、ホセ・ムヒカ氏の言葉を借りると消費主義で地球上全ての人類の思想は凝り固まってしまっています。
今私たちに出来ることは、それぞれ個人が地球温暖化への対策を進めることも重要ですが、こういった問題の根源を改善する意思をもった候補者を選び、人類をその道へ進めていくことではないでしょうか。もちろん自身が立候補したり、グレタさんのように世界を相手に地道な活動を積み重ねるのも一つの手かもしれません。
最も重要なことは、私たち人類全員が、この問題に対して関心を持つことだと思います。
人類の活動が地球環境の悪化に影響していることは、もう疑いようがないことです。自覚をもって、偽情報に惑わされず、正しい情報を得て、良い政治が行われるよう、一層政治への関心を高める必要があると感じます。
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