日本の自殺者数は毎年2万人を超えている
今回の記事は、酷く悲しく辛い内容でもある「自殺」について考えていくものです。
日本人は、毎年20000人以上が自殺によって命を落としています。この数は現在は減少傾向にあって、平成時代は多く、平成15年には34000人以上の方が自殺で亡くなられています。
今回は警察庁の発表している公式情報の中でも、自殺の要因の半数を占めているとされる「健康問題」による自殺について、私自身の状況も織り交ぜながら、考えをまとめていきたいと思います。
基になっている情報は、令和二年の警察庁の自殺者数に関する資料(PDF)になります。執筆時点は2021年(令和三年)ですが、年内での速報しかデータがないため、昨年の情報を元にしています。興味のある方のために、リンクを置いておきます。
半数は健康上の理由で。私自身も同じ理由で
日々様々なニュースや歴史の情報を発信している私ではありますが、元々自身が抱える健康上の理由から自殺を考えていました。そのため、自殺についての情報を収集するのは、ある種自然の流れだったのかもしれません。(過去形のように書いていますが、現在も自殺を考えることはあり、その件は後述します)
自殺について調べる前は、恋愛や事業の失敗などで苦しみ、自殺という道を選んでいる人が多いものだと勝手に思っていました。
しかし、実際には私が抱えている問題と同じように、病気などの健康問題を理由に自殺を選んでいる人が半数もいることに、正直かなり驚きました。
その他にも経済的な問題や家庭での問題についても3000人を超えています。男女や学校の問題については、よく報道されることが原因なのか分かりませんが、印象よりも数が少なく見えます。(実際には合わせて3000人近くの方が亡くなられているので少なくないのですが、割合上の話です)
この健康問題を理由にした自殺について、同じく病気が理由で自殺を考える私の思考回路についても以下にまとめてみます。
どんな方法でもいいから「苦しみから解放されたい」
病気になって弱気になっているために自殺という選択をする人もいるのかもしれませんが、私の場合はそうではありません。
とにかく「苦しみから解放されたい」その一心です。
病気のため病院に通院し、様々な薬などを処方され、それらを投与したりして、毎日を健常な状態に過ごせるように最大限の努力をするのですが、薬が効いている時間以外や、薬があまり効果を発揮しない時間には、結局病気に苦しめられることになります。
その時間は、痛みや様々な苦痛と戦うことになり、何も抗うことが出来ず、ただ辛く苦しいだけなのです。そんな状況だと、他の健康な人々が恨めしく思えるほどです。そして、夜普通に睡眠をとることもできず、趣味などで様々な幸せを感じることもできず、「ただ苦痛に耐える」という時間だけが過ぎていくのです。
この虚しさと苦しみに耐え続けていると、「人生に意味がない」と考えるようになります。何もできない状態なので、人生 = 苦痛なのです。その苦痛からの解放は、つまるところ人生の終了である「死」しかないということです。
自殺願望を断ち切り、立ち直った考え方
私の場合、自殺を実行するその時に、人生を振り返りながら本当に色々と考えた結果、立ち止まり、まだ生きていくということを選択しました。
先に書いておきますが、自殺ばかりを考える人生ではなくなったという意味で、自殺をまったく考えなくなったという意味ではありません。
病気に悩み、病気の治療事だけを考え、病気になる前の生活への復帰ばかりを考えていた当時の自分の考え方を変え、今は前向きに生きていこうという考え方の変化があったということです。
そこに至るまでには数年間かかり、あることがキッカケとなりました。
それは「困窮」です。
絶望と開き直り
病気が酷く、働けない状態となった私は、働いていた時の貯蓄を切り崩しながら病気の治療にあたり、何とか元の生活に復帰しようと努力していました。しかし、1年2年経ってもその病状は改善せず、良くなっては悪くなるの繰り返しで、担当医からは完治させることは難しいと言われていました。
そしてとうとう貯蓄も底をつき、明日食べる食料の確保にすら困るという状況にまで陥り、日々の苦しみからも解放されたいと思っていた私は、迷わず刃物を手首に当てるという行動にでました。
しかし、その瞬間に元々働いていた日々の事やお金を稼ぐことについてなど、本当に色々なことを考えることとなり、刃物の鋭さへの恐怖心と合わせて、直ぐには実行できませんでした。
そして一つの考えに到達します。
「元の生活に戻ることを諦める」という一大決心をしました。病気でまともに働けない状態で、睡眠も不規則にしか取ることが出来ない状態ではありましたが、24時間365日経済活動ができないかというと、そんなことはありません。病状が軽い時間や薬が効いている時間などは、普通の人と同じように活動する事だって、ある程度は可能だったのです。
その時間を活用して、家族のことなども考えず、自分自身だけが生きていく道なら模索可能なのではないかと、考え始めました。私には、妻と高校生の娘がいます。その人たちを養わないつもりなのかと不快に思う人もいるかもしれません。ですが、死を考えるほど追い詰められている人間に、他者を養うことなどどうでもいいことになるのです。それが例え家族であったとしてもです。自身の命を長らえさせて、生きるためには、それら愛する者も諦めるしかないという結論なわけです。
そして、完全なる絶望から、新しい自分の人生のビジョンを描き、そこへ向けての歩みを始めることになった訳です。
現在は自殺を殆ど考えないが病状が悪化すると…
その新しい生活スタイルは、それまでの生活とは大きく異なり、病気とは常に一緒ではありますが、確実に喜びもあり、未来を考える楽しみもある状態で、一般的な人とは異なりますが、ある種の幸せがそこにある事に気づきます。
「幸せ」という抽象的な言葉については、また別途考えをまとめたいくらいですが、病気が悪化する前の私は、日々お金をたくさん稼いで、好きなものを好きな時に買って、家族で旅行したり美味しいものを食べる、そんなことが幸せと思っていました。
でも、幸せというのは自分の置かれている状況などによって、感じるものが異なるものだと、改めて気付かされることになった訳です。
しかし、こんな前向きな現在でも、自殺について考えることが全くないかというと、そんなことはありません。
実はこの記事を書いている丁度昨日にも、病状が悪化して自殺のことを考えていました。睡眠が全くとれず、朝になるまで一人部屋の中で苦しみ続け、夜が明けて道路には多くの車が通り始め、家の中でも家事の音などが聞こえ始めます。それでも私は昨晩から一睡もできておらず、ただ苦しみと戦い続けていて、その孤独な状況への絶望と、苦しみからの解放を願い、やはり死にたいと何度も思っていました。
その後、苦しみよりも体の疲労が増したことにより、気絶するように意識を失い、丸1日近く眠った後で、今は病状も落ち着いて意識もしっかりし、元気な状態なので、元気よく自殺についての記事を執筆しているという訳です。
健康問題に対する苦悩は「理解されない苦悩」
少し触れましたが、この健康問題に関する苦しみの中で、自身の病気との戦いによる苦しみとは別に、「理解されない」という精神的な苦しみも非常に大きな問題です。
これは、どうしようもないことではありますが、その病気の苦しみというのは、本人しか分からないもので、他人は心配することはできても、苦しみを共有してあげることはできないのです。一生懸命寄り添おうとしてくれていることに、病気の本人は感謝を述べることでしょう。
ですが、その感謝は本当にありがたいと感じ、心から発された言葉であると共に、病気の人と健常者を確実に線引きしているのです。有難いけど恨めしい。そんな感情であることも珍しくないでしょう。
家族や友人が死を選びたいほどの苦痛に悩んでいた場合、周りの人はどうしてあげればよいのでしょうか。医者でもないのであれば、彼らを治療してあげることもできず、痛みや苦しみを貰ってあげることもできないのです。
ただ、これだけは断言できます。寄り添うつもりで類似した病気に自分も悩んでいるなどというのは、御法度です。そんなことはどうでもいいし、苦しんでる本人は死を考えるほどの苦痛なのですから、「そんなものと一緒にするな」と感情を逆なでする事になることは明白です。
このように書くと、「理解されないことを苦悩していない」ようにも見えます。実際には「理解したつもりの偽善に腹が立つ」に近いかもしれません。元々健常者に対して恨めしいという感情があるのですから、一層そう思ってしまうのかもしれません。
まとめ - 健常者のための社会 -
今回は健康問題による自殺という少し重いテーマを取り扱ってみましたが、自殺を考えている日本の方々に、同じように自殺を考えていたけどもう少し考えてみようとか、共感できるというな記事になっていると嬉しいなと思います。
現在の日本の社会は、当然のように「健常者」のための社会です。
病気のために様々な制約がある人にとっては、非常に生きづらい世の中です。ですが、昔に比べたら、インターネットなどの様々な技術の進歩のおかげで、病気でありながらも様々な方法で生活を組み立てていくことも可能でもあります。
在宅で可能な仕事なども
会社に出社して働いてお金を稼ぐ以外に、今は在宅での仕事を斡旋してくれるサービスがあったりもします。新型コロナウイルスの蔓延に伴い、テレワークが推進されていることも、病気で自宅や病室から動けない人たちにとっては追い風とも言えるかもしれません。
世の中には、アンケートに答えるだけでもお金を支払ってくれるような簡単な仕事もあります。病気でもインターネットが使える環境がありさえすれば、1円でも100円でも、少しずつでもお金を稼ぐことは可能です。会社に正社員として雇用されてしまうと、病気で会社に迷惑をかけてしまうかもしれないと歩みを始められない自分としても、単発のこういった募集は、一歩を踏み出す足掛かりとしては気持ちの上で非常に助かりました。
病気が酷くて働けないんだよと思う気持ち
病状が酷いときは、お金を稼ぐなんて気持ちにはなれません。私もそうでしたし、実際今もそんな日もあります。ですが、そういう時は、「諦める」ことも大事だと思います。健常な人と同じである必要はないのです。自分基準で考えて、可能な範囲で働くとして、働けない時は思いっきり完全に仕事のことを忘れる、これに限ります。
この方法で日本社会の中で生活がしていけるのかは、私もまだ実践中で正直不安も多くありますが、今は「まぁ自殺して終わりにするよりはいいかな」くらいのつもりで、楽しみながら可能な範囲で前向きに色々やっているという状況です。
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