チェルノブイリ原発事故とソ連崩壊
1986年にウクライナのチェルノブイリにある原子力発電所で発生した事故は、チェルノブイリ原発事故として、現代までその悲惨さが伝えられています。
私は当時幼かったこともあり、外国の原子力発電所で事故が起こったんだというくらいの認識で、あまり事の重大さを分かっていませんでした。現代に生きる多くの若者は、そもそもこの事件のことを知らない事もあるかもしれません。
この事故については、物事の判断ができる大人が知ると、それはとても恐ろしい「人的災害」といってもよい大惨事です。
当時チェルノブイリ原発があったウクライナは、ソビエト連邦(ソ連)の加盟国でもあり、その他の要因もあるものの、この事故以降急激に求心力を失って、結果国が崩壊するにまで至りました。
今回は、そんな国をも崩壊させ、今も強力な放射能を放ち続け、石棺に封じ込めることしかできない、チェルノブイリ原発の事故について振り返りながら、色々と考えてみます。
ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)という国
ソ連というのは、今のロシアと周辺国家が連合していた社会主義の共同国家で、今は崩壊したため既になくなっています。
時代的には、第二次世界大戦よりも少し前から存在し、その後もしばらくは存在していました。正確には、1922年から1991年という記録になっています。基本的には、創始者であるレーニンが掲げた理想を追い求める集団であって、レーニンはマルクスという思想家の、「資本論」を基に共産主義/社会主義の理想を掲げ、資本主義の問題点を社会から廃絶するという目標をもって政治活動を行った人物です。
レーニンは、ソ連の創始者ですが、その後を引きついたのがスターリンです。スターリンは独裁主義で個人崇拝を進めた、第二次世界大戦時のソ連を率いた人物で、非常に冷酷で残酷な粛清を行ったことでも有名です。あまり知られていないかもしれませんが、第二次世界大戦で最も多くの犠牲者を出したのはソ連で、軍人・民間人あわせておよそ2400万人もの方が亡くなっています。
ソ連は、元々の理想は「労働者のための国」であって、国民すべてが平等に働き、平等な生活を送ることを求めていたはずでしたが、農業の政策も失敗し、計画経済も上手くいかず、とても裕福とは言えない状態でした。スターリンの後の大統領たちが、様々な政策を試みますが、高すぎる理想を叶えることは容易ではありませんでした。
また、スターリンの進めた秘密主義的な進め方は、対外的なところだけに限らず、内部の情報についても満足な情報が行き届かず、それによって正しい政策を執り行う事さえままならないという状況が続き、国は衰える一方でした。
チェルノブイリ原発事故の「隠ぺい」で大惨事に
そんな中、ソ連のトップは「ゴルバチョフ」の時代に、チェルノブイリの原子力発電所で事故が発生します。
この事故の被害として、当時のソ連は33人と発表していますが、専門家たちは子の発表の信ぴょう性を疑っていて、実際には数万人から数百万人が犠牲になったと見られています。現在、チェルノブイリの街には、許可なく立ち入ることができない区域にしていされており、厳重な管理が行われています。もう40年近く前の事故ですが、今でも近寄るだけで危険な状態ということです。
この事故は、原子力発電所の事故なので、放射能が漏れて大変な事になることは、現代の人々でも理解が出来るところだと思いますが、何よりも大変なのは、この事故を「隠ぺい」しようとソ連が動いたことにあります。
事故の発覚は国外から
事故について、ソ連からの報告はありませんでした。
この事故が発生して数日後、近隣国の原子力発電所で異常なレベルの放射能が検出されたことにより、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所が怪しいとなり問い詰めたところ、ようやくソ連が認めたという形で事故が発覚します。(正確には2日後にスウェーデンで、職員の靴からの異常値検出で発覚します)
この事故の影響で、拡散された放射能を多分に含んだ食品が世界中に出回ることとなってしまい、経済界は大混乱に陥ります。ソ連が速めに警鐘を鳴らしてくれていれば、こんなことにはならなかったのです。
日本でも、風に乗った放射線が飛散して、雨にその放射線が含まれて降り注ぐという現象が起きるほどで、地球の反対側から届くほどの事故というのは、一体どれだけのものだったのか想像するのが難しいほどです。
国内への避難指示も行わない
国外への情報漏洩・発覚を恐れたソ連は、事故の状況を掴んでおきながら、現地住民を避難させませんでした。そのため、多くのチェルノブイリの市民たちは被爆することになります。
また、本事故の関係者たちは、国の上層部にも正しい情報を報告しません。自分たちの保身のためでしょう。ただ、計測に使用していた機器の性能が十分でなく、高い放射線値を検知できなかったため、常にその計器の上限値を報告していたともされています。それにより、国家として取るべき措置がとれず、対応が遅れ、被害はさらに深刻化します。
最終的には人海戦術で
結局、多くの従業員たちが決死の覚悟で作業を行い、事故を収束させていくわけですが、致死量の放射線が放出されているエリアに、マスク一枚で突入し、重度の被ばくをしてしまうといった、まさに地獄の様な状況となりました。この悲惨な光景は、当時のことを知る人たちが語り継ぎ、映画やドラマにもなっています。
結果、放射能を放ち続ける問題の原子炉は、コンクリートの石棺に封じ込める形で工事を終え、その上からさらに厳重なコンクリートを塗り固めて封印している状態です。その中で音信不通になってしまった、つまり生き埋めになった方もいるそうで、その作業がどれだけ大変だったのか想像するのも恐ろしい状況です。今は何とか小康状態のようではありますが、石棺が老朽化してきていて、新しい石棺を用意しなければならない状態とみられていますが、この計画は費用もかなり掛かることなどから今はあまり進んでいないと言われています。
原子力発電所で栄えていたチェルノブイリの町は、今や原生林のような趣で、自然豊かな地域になっています。
韓国の東京オリンピック中継でウクライナ紹介で話題に
少し話が飛び、現代の話です。
2021年、菅政権の元で、ようやく東京オリンピックが開催されました。新型コロナウイルスの影響もあり、1年延期の上で開催されたわけですが、同ウイルスの蔓延に関する懸念などから、賛否両論ではあったわけですが、とにかく無事開催されました。
そんな中で、韓国の報道におけるウクライナの紹介が話題となりました。
韓国は、ウクライナの選手団を紹介する際に、このチェルノブイリ原子力発電所の事故の映像を使用したとされています。当然ながら、ウクライナの方々にとっては、いい気持がするわけがなく、本映像に対して抗議したとのことです。
韓国は、相手の気持ちを考えたりすることができない国家と、世界中から思われたことでしょう。何とも配慮が足りない、大人げない行為です。今更驚くほどではないですが、非常に不快な国家です。
自分はそれでも原発賛成派
原子力発電所の事故については、日本も3.11東日本大震災において、福島第一原発が大変な事故に見舞われ、危険性は日本人も重々承知していることでしょう。
それでも私自身は原子力発電所については賛成しています。
危険なものを乗り越え、より安全にする必要はあると思われますが、今後の人間活動においてエネルギーの確保は非常に重要な問題です。石油や石炭といった化石燃料に頼るエネルギー政策ではなく、クリーンで長期的に十分な量のエネルギーを確保することが可能な原子力発電については、一層の研究を進めて、人類の未来に活用していくべきだと考えるからです。
原子力発電所の事故よりも、地球温暖化/気候変動による人類滅亡の未来の方が、長期的にみて危険だと考えていると言えます。遠い未来の事ではありません。来年の夏には、最寄りの河川が氾濫して、現在居住している住居周辺が、氾濫によって水浸被害にあう危険性があるのです。今すぐにでも温暖化の基を絶たなければという危機感があります。
ゴルバチョフ大統領の改革
さて、少し歴史の話に戻ることにしましょう。
このチェルノブイリの事故が発生した際のソ連のトップは「ゴルバチョフ」です。
彼は当時書記長という肩書でしたが、改革を推し進めていく中でソ連も大統領制となり、最初で最後のソ連の大統領となりました。そのため、今でも彼のことに言及する場合は、ゴルバチョフ大統領とされるわけです。日本でも、バラエティー番組に出演することもあるなど、人柄も良く知られていて、その優しい雰囲気からも人気がある人ではないでしょうか。
彼は、非常に変わった評価をされている人物で、国内からは非常に低く評価されています。それは一つの国家を崩壊にまで追いやった人物だからでしょう。しかし、国外からは非常に高い評価を得ている人物でもあります。ソ連の中にあった、様々な問題点を明るみに出し、民主的で自由な経済活動を行うように、立て直しを進めていったからです。
また、チェルノブイリ原発事故の情報が十分手元に揃わず、適切な判断が行えなかったことも受け、情報開示についても大きな改革を打ち出し、実行したことでも知られています。
グラスノスチ -情報公開-
ゴルバチョフ大統領の行った政策の一つです。ロシア語で「グラスノスチ」は、日本語でいうところの情報公開にあたります。
つまり、ソ連内部では様々な情報が隠蔽されるのが常であって、その悪しき風習を一掃し、すべて情報を開かれたものとしようというものです。自由で民主的な国に育った日本人にとっては、何を当然のことをと思ってしまいそうですが、それを政策として打ち立てなければならないほど隠ぺい気質だったというわけです。
この政策が行われた後に事故が起きていれば、当時の現場の対応や、世界からの支援なども含め、もっと良い対策が行えたであろうことは明白で、非常に残念ではあります。ですが、改善するのに遅い早いはありません。問題があればその時点で改善できることに注力する、そのことが重要でしょう。
ペレストロイカ -構造改革-
ゴルバチョフ大統領が掲げた有名な政策としては、グラスノスチよりもペレストロイカでしょう。ペレストロイカは構造改革の意味で、まさにソ連の体質を根本から叩き直してしまおうという、大胆な政策と言えます。
それだけに、元々のソ連で既得権益で甘い生活を送っていたソ連重鎮からの風当たりは相当に強かったでしょう。それを顧みず断行したことで、様々な成功を収め、改革も成功していくのですが、最終的に行きつくところはクーデターという軟禁事件でした。
改革に反対する勢力に、ゴルバチョフ大統領は軟禁されてしまいますが、時のロシアの大統領であったエリツィンが反対勢力を押しのけ、ゴルバチョフを救出する形となり、元々力の強かったロシアが権力を増し、結果ソ連から各国が離脱する形を取って、事実上の崩壊に至るという末路に至りました。
改善しようとしたものの、既に改善できるレベルを超えていたたため、一度完全崩壊して新しく作り替えられた、クラッシュアンドビルドが起こったと見てよいでしょう。
エリツィンからプーチンへ
そして、ゴルバチョフを救ったエリツィンが大統領として、現在に続くロシアが始まるわけですが、これまでのロシアの大統領は、私の知る限り3名しかいません。
エリツィン -> プーチン -> プーチン -> メドベージェフ -> プーチン -> プーチン
(画像左がエリツィン、右がプーチン)
プーチンさんが、今のロシア連邦を作ったといっていいでしょう。
4年2期までと決まっていた大統領を、メドベージェフの時代に6年2期までと法律を変え、大統領に返り咲いたため、合計20年もの長い間大統領の職にあるということになります。
権力者が長い期間いると、政権は腐敗するともいわれながらも、国は安定し裕福になるともいわれます。ロシア連邦はどうなのでしょうか。
また、今後の日本との関係はどうなっていくのでしょうか。
プーチン大統領が、大統領の任期を終えるのが2024年の予定で、それ以降のロシア連邦はいったい誰が舵を取っていくのでしょう。まだまだ目が離せません。
まとめ
今日は、情報開示の重要性を、歴史の悲惨な事故を通して、改めて考えていくことになりました。それと共に、今のロシアが作られた経緯と、現状の大統領制によるプーチンさんの後継者問題についても触れてみました。
チェルノブイリ原発事故は、非常に悲惨で、我々後に残された人類は、同じ失敗を繰り返さないように、多くのことを学ばねばなりません。現代に生きる若者たちも、こういった過去の一つの外国の事故ではありますが、是非興味を持って知ってほしいと思うばかりです。
今はYoutubeなどで、現状のチェルノブイリを訪問して動画を公開している方だったり、様々な人が情報を発信してくれており、その情報を一般の我々が享受することが出来るという素晴らしい世の中です。
また、若い方だけでなく、企業などの組織に属する人は、自身の考えだけで報告を先延ばしにしたりすることは極力止め、何事も上司や先輩に対して報告するという戒めとしても、この事件のことをもっと広く知ってもらいたいと思います。
私自身も、本件を知ることで、情報報告の重要性を知ると共に、国家という大きな組織が揺らぐほどの影響力を「情報」が持つということに、驚きもしつつ納得もする、非常に興味深い、勉強になりました。
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