大化の改新が偉大な一歩と知る
今日は日本の歴史についての記事です。
取り上げる題材は「大化の改新」についてです。
多くの人が、学校教育などで「大化の改新 = 645年」と暗記して覚えていると思われます。中臣鎌足と中大兄皇子が曽我氏を倒した改革と習います。それは事実として、歴史としての記録を覚えているだけで、テストで良い点を取るためにはそれだけでよかったのです。
しかし、大人になってから気づいたことがあります。
「大化」というのが日本の最初の元号であって、それ以降時代ごとに名前が変わり、現在「令和」という時代になっているのだと。この新しい時代を刻み始めて1500年以上続いているこの決まり、始めたのが大化の時代と考えると、それは凄いことなんだと、改めて思うわけです。
今日はそんな大化の改新について振り返って考えてみます。
上記画像は、令和に新元号が決まった際の記事を参考にさせてもらいました。非常に面白い記事でしたので、ここに紹介しておきます。
大化の改新とは
冒頭に少し記述しましたが、歴史的な事実としても念のため記載しておきます。
大化の改新とは、それまで政治を牛耳っていた曽我氏一族を倒し、中臣鎌足と中大兄皇子が行った政治改革の事です。西暦645年に起こりました。
曽我氏は、天皇を次々と擁立したり、日本の政治を思うままに進めてしまっていて、外国から「倭」と蔑まれてしまっていたほどです。歴史的にみると、唐と対等になろうと努力する勢力に押し切られ、権力を失ったとも見えます。
以降、日本では当時中国を治めていた王朝「唐」に習い、中央集権型の政治形態を確立していきます。
日本では「飛鳥時代」という時期に起きた、一つの政治改革といえます。
世界の中の日本という国の定義 - 時と国号 -
圧倒的に文化が先進的だった中国の王朝「唐」に習い、様々な改革を断行していくのですが、その中でも特に注目すべきなのは、時と国号の定義でしょう。
それまでの日本は、唐とやり取りをしていくなかで、「倭の国」と呼ばれていましたが、これは田舎者とか辺境の蛮族といった意味合いを含む、蔑む言葉です。それに対して、今後は「日本」と呼ばせるように国の名前である国号を決定しました。これは今でも変わりません。日が昇る国 - Sun Rise Land - の誕生です。
そして、時の定義がなかったことを受け、日本独自の「時を定義」することとし、元号「大化」が生まれるわけです。以降、大化の改新以降は大化**年と時を刻み始めるわけで、これも現代の令和の時代にまでつながっています。
逆にそれ以前は国という概念も、時代という概念も存在しなかった、本当に「ただの集団」であったとも見えます。このことが如何に重要で、大きな一歩だったのかと考えずにはいられません。
古事記と日本書紀の編纂
そして、この前後に「古事記」と「日本書紀」の編纂が始まるわけです。
完成するのはもう少し後ですが、この編纂作業にも大きな意味があります。
「古事記」は、日本に伝わる各伝承をまとめ上げ、一つの大きなストーリーとして綴ることを目的としていて、主に国内向けの神話として位置づけられる文書の代表格です。
そして「日本書紀」は、日本から外国に対して「日本という国はこのような歴史のある国」という文書として編纂されています。
これらによって、日本という国が天皇陛下を中心とした、由緒ある文化的な集団であることを決定づけたとみることができるでしょう。
後の世に、この古事記などについては研究が進み、「そもそも日本とは」と考える際にも多くの人たちが振り返り、再度考え直すことにも利用され、有名なのは江戸時代の本居宣長が「古事記伝」として再編集したことでしょう。
古事記伝は、国学の中心にあり、この考え方はさらに発展し、尊王攘夷の水戸学へと受け継がれ、それら考えは後に明治維新から現代の近代社会を形作っていると見ることができるわけです。
まとめ
そう考えていくと、大化の改新という一つの歴史の教科書の一節が、日本の歴史においてどれほど重要な大事件だったのかを、改めて考えたくもなるものです。
この改革が行われなかったら、今の日本という国は存在しなかったと考えると、怖くもあります。曽我氏が好きな政治をするままだと、本当に地方の蛮族集団のままだったのかもしれません。
この時点で改革を行い、唐に見習って近代化を進めたことは、後の明治維新という大きな改革の後に欧米諸国に習って近代化を進めたことに、非常に歴史的な動きが似通っていると感じます。日本は島国でもあり、諸外国から狙われにくいという地の利がありつつも、文化や先進的な科学技術などが渡ってきづらいという難点もあったことが伺えます。
現代は、島国というメリットもデメリットもかなり薄れてきたと感じます。
そういう意味では、今後はこういった大きな改革をして諸外国に追いつかなければという状況にはなりにくいのかもしれません。
本当に、先人たちのこういった大きな行動力には、敬意を払わずにはいられません。
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