2021年10月19日火曜日

祭りなどで近所の家前にぶら下がるひらひらとした紙 - 紙垂(しで)

貨幣や短歌にも繋がる日本古来からの風習


夏が終わり秋が近づくと、近所の家の前にひらひらとした紙がぶら下げられていることも多いのではないでしょうか。それを見ると、あぁ祭りが近いのかと思い、幼いころの祭りの記憶などが思い出され、何故か温かくなったり切なくなったりする人もいるのではないでしょうか。

大人になった私は、それをみて少し違う感想を抱きました。
そうです。私はその「ひらひらと舞う紙」の名前も意味も知らないことに気づいたのです。


名前を知らないものを調べるのは、少し手間取りましたが、何とか答えに辿り着くことができました。現代社会の便利さに本当に感謝です。

このひらひらした紙の名前は「紙垂(しで)」と言います。

調べてみると、なかなか面白い発見がありましたので、今回はこの「紙垂(しで)」について、掘り下げて紹介していくことにします。


日本の古来から伝わる神道 - 神の聖域を示す「紙垂(しで)」


日本では古くから神社で神様を祭る「神道」が、信仰の対象として人々の生活にあったことは知られています。仏教やキリスト教といった外来の宗教とは違い、日本の土着の宗教で他の信仰とは異なり、最初にまとめられたのは「古事記」の伝承である事は言うまでもありません。

後の江戸時代の国学者「本居宣長」が編纂し、「古事記伝」としてまとめたこの古事記にルーツを持つ国学は、その後の日本の戦争に向かう思想の原点になったともされ、GHQに禁止されてしまいました。


残念ながら、私たちの日本で始まった原始の宗教である神道や、それを基にした国学といった学問を、現在の学校教育で習うことはできないのです。


しかし、そんな中でもこの風習までは禁止されていません。お祭りが近くなると、家の前に縄を張って特殊な形の紙をぶら下げ、神様の聖域を示し、お祭りに備えます。この風習の起源もやはり古事記にあり、最初は「天の岩戸」伝承に登場するそうです。


冒頭の写真と、見えにくいですが上の写真の鳥居のしめ縄についているぶら下がる紙「紙垂(しで)」の形状が異なることに気づいた人は、かなり注意力がある人でしょう。そうなのです。この紙垂にはいくつかの形があるそうなのです。


私のお祭りの記憶では、一番右の「伊勢流」しか見たことがない気がしますが、神社の中とか、それ以外では「吉田流」や「白川流」といった形状かどうかは記憶が怪しいですが、確かに少し違う形状の紙がひらひらしていたような気がします。

紙という材質がここまで一般的になる前は、木綿や麻などの布を利用していたとも言われています。

祭りで使われる2つの紙垂が付いた木の棒を「御幣(ごへい)」


この紙垂(しで)を木の棒の横に2つセットで組み合わせた道具があり、これは神様に捧げられたりするそうです。この道具を「御幣(ごへい)」といいます。


紙垂の形状が、上述の吉田流とか伊勢流とかと、また違った形状になっていますが、何か特別な意味もあるのかもしれませんが、ここではそこまで掘り下げないことにします。

この「御幣(ごへい)」の左右の紙垂(しで)には、金や銀とか、色とりどりの五色の紙なども利用されることがあるそうです。

御幣とは、神々への捧げものの意味で、貴重なものを表す「幣」に尊称である「御」がついたものです。

「御幣(ごへい)」は私たちのお金「貨幣(かへい)」の語源


私たちが普段の生活で、物品などを購入する際に使用する「貨幣」ですが、この「御幣」が語源になっているとする説があるようです。

神社には、昔から「麻」などの布を納める風習がありましたが、それの代わりに金品を納めるようになり、この風習は今にも伝わっていて、「幣帛(へいはく)」として知られています。漢字が難しすぎて読めません、本当に。

この「幣帛(へいはく)」の中で、金銭については特に「金幣」というそうです。


つまり、神様への捧げものや神社への奉納金として金銭を納めていた風習があり、現在の貨幣などの「幣」は、この御幣に由来しているとされているのです。

御幣(ごへい)の幣は「ぬさ」と読んで元は「麻」


御幣(ごへい)の「幣」の字は、「ぬさ」と読んで、元々は神々へ捧げる貴重なものという意味の言葉です。

「幣(ぬさ)」の元々は「麻(あさ)」などの布であったとされています。

つまり、紙がここまで広く一般的なものとなる前は、「麻」などの布を納める風習があり、紙垂(しで)などにも使われていたものが、徐々に紙に置き換わっていき、納める物品も金銭に代わっていったという歴史があることになります。

そういう意味では、今の神社に金銭を納める代わりに布を納めても良さそうに思いますが、実際に布を納めたら神社の方々からはどのように言われるのでしょうか…。笑顔で断られるのでしょうか。

そしてこの「幣(ぬさ)」と聞くと、文学に詳しい人は思い当たることがあるのではないでしょうか。そう、百人一首の中にもこの「ぬさ」は登場するのです。

ぬさもとりあえず…百人一首24番 (菅家・菅原道真)


菅原道真(菅氏)が詠んだ歌で、百人一首の24番目に採用された有名な短歌です。

このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに


現代語訳としては、急な旅で道祖神(どうそしん)に捧げる幣が用意できなかったけど、どうかこの手向山の一面の紅葉をお受け取りくださいといった意味です。

「神のまにまに」というフレーズが非常に印象的です。神様の御心のままにという意味ですが、日本では商品のキャッチフレーズや歌のタイトルなど、様々な所で現代でも目にすることがある言葉です。

幣(ぬさ)は、神様への捧げもののことです。旅の道中に「道祖神」へ捧げる麻布などを捧げるために事前に準備するのが通例だったのですが、菅原道真はそれを準備せずに旅に出てしまいました。そこで目にした一面の美しい紅葉を見て、幣の代わりにどうかこの美しい紅葉の景色を受け取ってくださいと思うほどに、神にささげるものにふさわしいとさえ思える美しい景色だったことが伺えます。

百人一首を始め、日本の短歌の世界には、本当に過去の人々の美しい感性が表れていて、本当に興味深いと改めて思うのです。


まとめ - 日常にある歴史や宗教の欠片 -


私たちが普段何気なく目にするありきたりの風景ですが、その中には昔から行われている土着の文化的な風習が多く含まれています。

あまりにも普通のことで、見落としてしまいがちですが、一歩引いて考えてみると、世界的には普通の事ではなく、この日本ならではの事であることに気づき、そして次の瞬間には、なぜそんな不思議なことを行っているのかという疑問につながります。

宗教というのは、それを信仰して一種の盲目的な状態にでもならない限り、外部からだとその習慣はとても不思議なものに映ることがあります。これは海外から見た日本もそうでしょうし、逆に日本人が海外の人たちの不思議な風習を目にすることもあるでしょう。

しかし、そんな風習の中にこそ、その人たちの本質のようなものや根付いている文化の中枢が隠れているような、そんな気がしてなりません。

今回は、私たち日本の文化の中で、私が知らなかった「紙垂(しで)」を紐解くことで、貨幣や菅原道真の百人一首に辿り着きました。そして、日本古来のもののルーツは、やはり古事記に行きつくことが多いように感じました。世界の様々な歴史を学ぶことは非常に興味深く楽しいことではありますが、そんな私たち自身の日本の歴史についても、まだまだ学ぶべきことがあるのだと、感じさせてくれました。



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