大正時代 - 本当の民主主義へ
「大正時代」は、歴史の勉強をする中であまり印象に残らない気がします。特に、前後の時代が強烈な印象があるせいで、その間の短い期間なので、特に何もなかったか、前後の経過的なイメージしかないのではないでしょうか。私はそうでした。
ですが、大正ロマンとか、最近でもアニメになったり、新しい歌が公開されたりと対象にちなんだものは時々見かけます。下の画像は「YOASOBI」の大正ロマン原作のものです。執筆時点ではMVも公開されています。
明治時代の近代化から、昭和時代の敗戦を経験し、目覚ましい経済成長を遂げた日本は、平成~令和の時代を平和に迎えることができています。今回は、その間にあった大正という時代について、政治的な観点で見てみます。
デモクラシーって何?っていう人達には、歴史も学べて大正時代を知るのはお勧めです。
大正時代をイメージするヒント
明治から大正までを分かりやすく表現すると、以下のようになるでしょう。
明治時代 - 藩閥政治 - 富国強兵
大正時代 - 政党政治 - 民主主義
昭和時代 - 軍閥政治 - 帝国主義
歴史の大筋をざっくり理解することは非常に理解の助けとなります。明治時代に、それまで行われていた江戸幕府による封建制度は崩壊し、一気に近代的な中央集権政治が行われるようになります。これは現代の令和の時代も同じです。
ただし、明治時代にいきなり今のような洗練された中央集権政治が行われるようになったかというと、そうではありません。当時参考にした諸外国の憲法・法律も当時は現代のような洗練されたものではなかったからです。また、一部の武家が治めるという構造から、人間はそう簡単には脱却できないものです。それが徐々に変化していき、戦争という悲劇を経て、完全な民主的で平和的な政治が行われる現代に結びついていくのです。
明治時代は富国強兵 - 藩閥政治
明治時代と言えば、皆が学校で習う「明治維新」があまりにも有名です。
「明治維新」は、尊王攘夷(天皇中心で外敵を排除)するという考えの元、先進諸国を真似して近代化していこうという一連の動きを表しています。そのために掲げられた分かりやすい言葉の代表が「富国強兵」でしょう。
「富国強兵」は、元々の考えを実現するために、兎に角外敵を排除する「強い軍」が必要で、強い軍を持つためには「大きな経済力」が必要になります。そのため、「国を富ませて強い兵を持つ」という方針を取ったわけです。
これらの政策は、江戸幕府を倒して強い力を持った「長州・薩摩」藩出身の名士を中心に執り行われていったので、「藩閥政治」と言われます。これはクーデターを起こしてまで、改革を推し進めなければという強い意志があったわけなので、当然の流れと言えるでしょう。
富国強兵を推しすすめ、隣国である李氏朝鮮と関係を持つにつれ、明治時代には「日清戦争」「日露戦争」という戦争に巻き込まれて行きます。幸いかどうかは分かりませんが、日本が勝利する形となり、現在の台湾と韓国はこの時点で日本領土となります。
大正時代は民主主義 - 政党政治
藩閥政治が長く続いていくにつれ、一部の人たちにより国の行く末が決定しているという事実に対する不満や改善を叫ぶ声が上がり始めます。これが、学校でも習う「大正デモクラシー」という運動です。
デモクラシーとは洒落ていますが、英語で「民主主義」の意味です。現代を生きる人たちはこの英語を訳せないかもしれませんが、当時の人たちの流行語と言ってもいいほど、関心が高かった言葉です。
この運動に後押しされる形で、初めて民主的な選挙によって、一般人である「原敬」内閣が誕生します。このことは歴史上非常に大きな意味を持つと言っていいでしょう。逆に言うと、大正時代のこの変革前は、本当に一部の人たちだけで政治を行っていた、ということで、現代からは想像が難しい状態です。
また、対外的には「第一次世界大戦」が起きており、戦勝国となった日本はさらなる好景気に沸き立ちます。ですが、そんな中で発生するのが「関東大震災」で、この震災によって10万人以上の犠牲者が出た上、東京の街は焼け野原になってしまいます。丁度昼ご飯時に発生したらしく、多くの家から出火して瞬く間に火が回ったそうです。
天皇機関説 - 憲法解釈の議論
ちなみに、対象時代の日本の憲法は天皇主権の「大日本帝国憲法」です。
「天皇主権」については、大日本帝国憲法の第一条について明記されていますが、主権というのは多義的に解釈できるため、議論を呼びます。
日露戦争以降、大正時代の政治を支えた「天皇機関説」というのが非常に有名です。これは統治権は国家にあり、その最高機関として天皇という地位があるとする学説です。つまり、明治時代のように天皇がすべての国政の中心にある = 主権という考えではなく、政治を政党が行って、天皇はその最高機関であると形骸化するようなイメージでしょうか。
この学説は、昭和時代に突入すると、軍部の台頭によって争いの種となります。(天皇機関説事件)
昭和時代(初期)は帝国主義 - 軍閥政治
政党政治になって、未曽有の好景気に沸き立った大正時代が終わり、昭和の時代になると、世界的に暗い時代が訪れます。「世界大恐慌」です。
これは戦勝国で無傷だったアメリカが、ドイツ・フランス・イギリスを相手に爆発的な好景気に沸き立った後、突如株価が暴落してしまい、アメリカ経済に頼りきりだったこれらのヨーロッパ諸国は完全に行き詰まり状態になります。そして、これらの国々は世界に「植民地」を持っていて、フランス・イギリスはアメリカや他の国と経済を完全に切り離し、自国と植民地だけで経済立て直しを図る「ブロック経済」を始めます。
日本は、取引相手だった国と商売できなくなったこともあり、戦勝国であったにもかかわらず、敗戦国ドイツ同様完全に経済が行き詰ってしまうのです。日本は台湾・韓国という領土拡大は起きていましたが、搾取する他国「植民地」は持っていなかったのです。
政党政治が悪いわけではないのですが、日本国民は「政党政治」になったら不景気になったと感じ、また第一次世界大戦など戦争に勝った後は好景気だったと考え、軍部に熱い期待を抱くようになり始めます。そして、恐ろしいことに、時の内閣総理大臣「犬養毅」が暗殺されてしまうという事件が起きます。(5.15事件)
この後急速に軍部が影響力を強め、内閣総理大臣に軍関係者が立つようになり、現代は「軍閥政治」と呼ばれるようになっています。
下の画像は軍閥政治の結果、先進諸国と同じ植民地政策によって乗り切ろうとした日本の「大東亜共栄圏」と呼ばれるアジア経済協力構想の結果です。西欧諸国に虐げられていたアジア各国を開放し、日本が独立を支援しながら、経済協力を行っていくという理想です。
この軍閥政治は昭和20年(1945年)の敗戦まで続きます。
昭和時代(戦後)は戦後復興 - 自民党政治
戦争に敗れた日本は、アメリカGHQの統治下におかれます。
その中でも、日本の政治形態は直ぐには変わらず、内閣総理大臣も形式上いますが、実権はGHQでした。その後、朝鮮戦争に関連して、日本経済は皮肉なことに急激な好景気となり、すごい勢いで復興が進んでいきます。
1952年4月までの約7年間は、GHQ統治下で主権を持たない状態が続きます。
そんな中、1951年に日本は各国とサンフランシスコ平和条約を締結します。これにより、各国と正式に平和条約を結び、戦後処理がひと段落、国境も確定したという形になります。残念ながらロシア/旧ソ連はこの条約に参加しなかったため、2021年現在も平和条約を締結できておらず、国境も確定していません。(北方領土問題)
サンフランシスコ平和条約を結んだ吉田茂首相の次が、「鳩山一郎」内閣です。この頃政界では、複数の政党が合併するなど勢力争いが活発でした。1955年に、第一党だった日本民主党と第三党だった自由党が合併することで、自由民主党(自民党)が結成されます。(保守合同)
対抗措置として行われた合併ですが、結果として2つの強大な政党が誕生し、これを1955年に誕生したことから55年体制ともいうようです。
平成時代 - 自民党二度の敗北
自民党は誕生以来その強大な力で他党を圧倒し、日本の政治を牽引してきました。
ですが、この自民党も不動の一党独裁政治という訳にはいかず、自民党結成以来2021年現在までに2度政権を奪われています。初めて政権を奪った時は、歴史的な大ニュースとなったものです。
基本的には、どちらも「連立政権」の形で勝利しています。これは、強大な党には、志が近い同志が集まって対抗するため、複数の党が共同戦線を張って対抗する形です。1回目の細川内閣は9党連立、2回目の鳩山内閣は3党の連立です。
自民党結成以来70年近いですが、その間自民党が政権を失った期間は5年前後といったところでしょうか。2回の自民党敗北は、両方とも平成時代に起こっています。
個人的には、成功も失敗も含め、多くのノウハウが蓄積されている自民党には、やはり安心感のようなものを感じます。
そして令和へ
執筆時点の2021年は、始まったばかりの令和3年です。
まだこれからどのように世界が、そして日本が動いていくのかは分かりませんが、今のところ新型コロナウイルスによる世界的なパンデミック、台頭してくる中国と緊張感が高まる南シナ海近辺、そして急速に進められる脱炭素・カーボンニュートラルと、全体的によくないニュースばかりに感じます。
ペットが可愛いとか、おいしい料理がとかそんな些細な幸せも大事ですが、人間社会の未来に向けての明るいニュースが欲しいものです。
まとめ
今回は、大正時代にスポットを当てつつ、明治以降に近代化された流れをざっと流して確認してみました。
歴史というのは、全部繋がっていて、全て現実で起きたことなのです。
当たり前のことなのですが、この事が自分の中に「実感」として湧くまでは、歴史の学び方や世界の見え方が違うように思います。私もそうでした。
そして、人間の一生は非常に短く、歴史というのは無限大に長く、情報量も非常に多いものです。すべてを摘み取って学ぶには時間がいくらあっても足りません。まずは何故そうなったのかという疑問を解決していくために、歴史の「大筋の流れを掴む」ことが重要だと考えています。
その上で、自身の生活だったり、仕事だった理に役立ちそうなところを掘り下げるのも良いでしょうし、他の国の文化に興味を持って、調べたり行ってみたりするのもよいのではないでしょうか。
今回の記事を書くため、改めて調べなおしたりしましたが、やはり歴史を学ぶことは楽しいし、また自身への糧になる感覚があります。「経験」至上主義のIT社会前線で働いていた自分には、鉄血宰相ビスマルクの「賢者は歴史に学ぶ」が本当に心に刺さります。
最後に明るい動画で締めましょうか。
2021年9月16日公開のYOASOBI新曲「大正浪漫」です。カッコいいですね!相変わらずのセクシーなメロディーラインに魅せられます。
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