2021年9月7日火曜日

反出生主義-人間絶滅論

event_note9月 07, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

 人は生まれない方が良いー反出生主義


いやぁ凄い思想に出会ってしまいました。こんな思想が徐々に広がってきていることを全く知りませんでした。今回取り上げるテーマは、驚きの人類絶滅論である「反出生主義」についてです。

私は、歴史や政治など、様々なことに興味を持って勉強しています。そんな中で、人口増加や、それに伴う温暖化・環境破壊など、そして地球の有限な資源の枯渇などは、最近特に気になって情報を集めていました。

そんな中で、ちょっとしたニュースから、掲題の思想を知る事になり、驚愕したので、そんな思想を紹介しながら、思ったことなどを綴っておこうかなと思いました。


先進国の出生率の低下


まず最初に、今日見たニュースです。内容は、韓国の出生率が世界最低であるという問題を取り上げたものになっています。


このニュースは韓国についてですが、日本も出生率が低く、このまま進むと人口はどんどんと減っていってしまうことが分かっており、他人ごとではないですよね。特に先進国ではこの現象が顕著で、経済的な問題など要因は様々だと思いますが、特に日本に限って言えば、自身の幸せの追求が進みすぎ、その貴重な時間を割いてまで大変な子育てを選ぶ、ということが少なくなっているのも要因の一つとなっているようです。

世界的な人口の爆発的増加


先進国では出生率は低くなっていますが、世界的にみると凄まじい勢いで人口は増えています。


グラフで見ると、ここ数十年の伸びは控えめに行ってみても「異常」としか思えない増え方です。昆虫などだと大繁殖・大発生状態と言えるのではないでしょうか。

これに伴って地球規模での温暖化、それに伴う異常気象など様々な問題が引き起こされており、2021年の夏は山火事・局地的大雨と水害のニュースも多く見られました。

北極海の氷も多くが溶けてしまい、逆に新たな航路が生まれて経済活動の新しい道が見えたことはいいことなのかもしれませんが、アイスランドの氷なども多くが溶けてしまい、数年のうちに、世界的に水位が7mほど上昇するだろうという予想もあったりします。

国防の観点からも、南のシンガポール、北の釧路と言われるほど、北極海航路の関係で北海道や北方領土などへの注目度が異様に高まってきてしまっています。

世界的には地球環境のため、急いでガソリン車の排除などの動きに出ていますが、人が増え続けて幸福を追求する限り、この大きな問題の解決は容易ではないでしょう。

21世紀の新哲学ー反出生主義


そんなことを思っていた時に、上述の韓国のニュースの動画のコメント欄から、「反出生主義」という言葉を知るに至ったわけです。

知らなかった単語は、とりあえずGoogle先生に聞いてみることができる便利な世の中なので、軽い気持ちで調べてみました。日本語のWikipediaにも情報がありました。

この中で記述があるのですが、「デイヴィッド・ベネター」の以下の主張には戦慄を覚えます。

出産否定は倫理的な思想であるという結論を導き出し、全人類は出産をやめて段階的に絶滅するべきだと主張

なんとも過激で恐ろしい主張だと思いましたが、この思想調べていくと納得できるところも出てきてしまい、頭が混乱してしまいそうになります。

特に分かりやすかったのは、ヴェターとナーベソンのやり取りででてくる以下の主張と表でしょうか。

  1. 仮に子が生涯にわたって著しく幸福であることが保証されていても、その子供を出生させるべき倫理的責任は存在しない
  2. もし子が不幸になりうることを予想できるのであればその子供を出生させるべきではない倫理的責任が存在する
子が幸福になる子が不幸になる
子を出生させる倫理的責任は生じない倫理的責任は不履行
子を出生させない倫理的責任は生じない
倫理的責任は履行される

基本的には、「幸福を最大限までに高めるよりも苦痛を最小限に抑えることの方がより倫理的に重要」とする理論のようです。

生まなくても問題はない。
生んだ場合には問題が生じる可能性がある。

ならば生むべきではないだろうとする考え方のようです。分からなくもないです。

凄いのが、インドなど一部の地域では、自分の不幸は親のせいだとして、親を実際に提訴したりしていて、社会的な問題にも発展していっていることです。正直なところ、一瞬脊髄では「甘えるな」とか、「馬鹿げている」と思いましたが、確かに調べていくと納得できるところもあるのです。そもそも「子供を産んだのは親のエゴ」であって、子供は「生まれたくなかった(生まれる選択がなかった)」とされ、子が不幸であった場合はその原因を生み出した親は、現在の法的には加害と判定されるべき事象でしょう。理屈は分かりますが、納得できているわけではなく、腑に落ちない感じはあります。

まだこれから人口増加に伴って、判例もたくさん生まれてくることでしょう。どのようにこの思想が花開き、人の未来にどのように影響してくるのか見ものです。

出生の宗教的な解釈


そして、宗教的な観点から人の生について考えてみると、もう少し見えてくるものもあります。

仏教において、そもそもお釈迦様の悟りに至るまでの苦悩で、「老い」と「死」がありました。結局彼はそのどうにもならないものに対して思い悩むのを止め、苦しみから解放されるという、所謂悟りを開かれるわけです。



しかし、この仏教における苦しみの元の原因は明白であって、それは出生でしょう。これがなければそもそも苦しみは生まれなかったのです。これについては20世紀にインドのハリ・シン・グールさんが著作『The Spirit of Buddhism』の中で言及されているようです。

また、ユダヤ教とそれに準ずるキリスト教・イスラム教でも、人間は生まれながらに罪を背負って生まれてきている…いわゆる原罪を抱えているわけで、罪と引き換えに知恵を持ったとされている生物像であるわけです。

宗教においても、基本的には生きることは辛いことで、それに対してこのように考えなさいというのが大枠の教えであることが多く、そもそもその辛いことが分かっている世界に新しい子を産み落とすというのは、それは罪だという理論も成り立ちそうです。

個人的な見解


この記事を書いている私自身も一児の父です。もう高校生ですが。

子供が「不幸だ」といって訴えられることは今のところ想像はできませんが、少なくとも子供を幸せにする努力はするべきだと思っていますし、したいとも思っています。

ですが、この思想を知ることで、少し考え方が変わってしまうかもしれません。「できるだけ幸せにする」という考えや、「子供が自分で幸せになる努力をする」ように協力するという発想が、自身に対する甘えなのかもしれないとさえ思うようになりました。

確かに子供を産んで育てているのは親である我々のエゴでしょう。子供を作るという行為は、生物として自然の摂理であって、それが常識だと思っていました。ですが、倫理的な理論としては「反出生主義」も理解できます。その場合、子供を幸せにする「義務」があるのかもしれません。

まとめ


究極の親馬鹿育成理論なのか、まだまだ勉強しなければ本質をかみ砕けませんが、こんな考え方が育ってきている現代は、本当に面白いと感じます。

段階的に絶滅すべき

本当に強力な一言でした。確かに人が減っていけば、資源の枯渇問題や環境問題など様々な問題が驚くほど解消されることでしょう。ですが人は子を産むことを止めません。

イギリスでは、反出生主義を公約に掲る政党「ANP」 (The Anti Natalist Party)というのもあるようで、彼らは子供のいる家庭への課税など、人が増えすぎないようにする政策を推し進めようとしているようです。

そんな中、中国は3人子政策とかいう世界覇権国を目指す一手を進めているとのことで、なんとも…。

地球には国境線なんてないはずなのですが、なかなか一つに纏まれないのがもどかしいと感じる毎日です。

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