2021年9月28日火曜日

枕草子 - 変わらない日常と悠久の時を感じる随筆

event_note9月 28, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

枕草子は随筆で清少納言と暗記したけど


「枕草子(まくらのそうし)」と言えば、義務教育の学校などで国語か社会の授業で習う、有名な作品です。テストや受験などに出題されることも多いため、日本人の多くは枕草子の分類である随筆(ずいひつ)と、作者の名前である清少納言(せいしょうなごん)機械的に暗記します。私もその一人です。



大人になってから、歴史に興味を持っていって、枕草子にたどり着き、現代語訳ではありますが、その内容を知ると、「随筆」というものの本質を知ることとなり、日々の生活における考え方に、ある種の変革が起こることとなりました。

今回はそんな枕草子についての記事となっています。

日常の記録としての随筆


枕草子は、特別な物語などではなく、随筆として知られています。

「随筆」というのは見聞きしたことをそのまま記した作品の事です。

つまり、枕草子は「清少納言という人の日記」と言ってしまっていいほど、ただ単純な日常が記されている作品ということになります。単純な日常というのは、普段の生活ではつまらないものではありますが、時を経るにしたがってその価値というのは高まると考えられます。

何故ならその記録は、当時の生活様相を表しており、一個人の主観とはいえ、どのようなことを人々が思っていて、どのような生活を送っていたのかを知る貴重な資料としての意味合いを持ち始めるからです。


平安時代の宮中も現代の女性たちの社会と変わらない


宮中ならではの暮らしぶりはもちろん現代とは異なりますが、時代が変わっても女性が男性に抱く好意や嫌悪感といった感情や、日常の中での交通の渋滞に対する不満など、現代に生きる我々日本人と、そう変わらない思考であったことが伺えます。

これは大変興味深いことで、当たり前のことではありますが、1000年以上前に生きた人々も、同じ人間であったと改めて思い知らされるのです。


書籍やネットの情報などで知る歴史というのは、どこか遠い世界のように感じてしまいがちですが、まさに現実としてそれはあったことで、そこには我々と同じような人々が過ごしていた世界があったのだ、その世界は繋がっているのだと感じる瞬間にこそ、歴史の面白いところは私はあると思っています。

清少納言と紫式部


清少納言と同じく平安時代に生きた女性として有名なのは「紫式部」でしょう。

彼女たちは、物理的な位置も非常に近く、時代的にもほぼ同時期に存在していた似た境遇の女性たちですが、仕えた方の世代が一つ違っていて、紫式部の方が後の世代になります。

学校などでは、枕草子=清少納言、源氏物語=紫式部と暗記したものです。紫式部は現代にまで語り継がれている源氏物語という素晴らしい物語を残しています。一般的に読んで面白いのは、枕草子よりも源氏物語の方でしょう。


彼女たちは同じ時代を生き、同じように書を後世に残し、そして百人一首に両名とも短歌が採用されている歌人でもあり、本当によく似ています。しかし、枕草子が随筆ということもあって、清少納言の人柄や考え方は、現代にまでその聡明さなどを含め伝わってきていますが、紫式部については、残した作品が架空の物語のため、そこまでのことは分かりません。

歴史の中での物語 - 架空を創造する固有能力


物語についての歴史も少し振り返ってみることにします。

ここまで平安時代の女性について見てきていますが、物語の元祖というと古代メソポタミアのギルガメッシュ叙事詩が挙げられるでしょう。粘土板に記す形で現代にまで内容が残っている非常に古い物語ですが、現代の人が見ても面白いとさえ感じる、ファンタジックアクションものです。


人間というのは、サピエンス全史の中で、「認知革命」を経て、他の生物にない架空のものを想像することができるようになったとされています。確かに、他の生物たちの中に、架空のものを想像し、時には恐れ、時には敬い、そして遊興の中にも架空のものを生み出して共有するという、こんな特殊な生物は見たことがありません。

そうやって、時代が変わっても、場所が変わっても、物語のような架空の面白いお話を創造し、伝えてきた人間の歴史というのは、本当に興味が尽きません。

短歌という言葉の遊興文化


枕草子が綴られた平安の時代では、遊興としての言葉遊びとして短歌という文化が栄えていました。これは現代のように娯楽が溢れた時代とは異なり、筆と紙があれば、後はアイデアや工夫で楽しむという、非常に高尚な遊びでしょう。

男女の関係も、今よりも開放的だったというのも、その駆け引きさえも、少ない娯楽の一つとして人々に親しまれ、楽しまれていたのでしょう。そしてその影響もあってか、短歌の世界には実に多くの恋愛作品が残されています。百人一首の100種類の歌のうち、実に半数以上が恋の歌とは驚くばかりです。

それら感情の機微を、制約のある歌の中に乗せて作品とする、何とも素敵な文化です。


現代の記録形態と我々の残すもの


さて枕草子の随筆という文化を知った我々が、今度は現代の日常を記録していくことを考えてみることにします。

現代社会は、サピエンス全史では「科学革命」が行われた後の世界と定義されています。過去に例を見ないほどの生産力を得ました。そして日本ではIT革命と言われるほど、コンピューターを活用した社会構築が進み、情報の記録も紙からデジタルなものへと移行しつつあります。


しかし、このデジタルの情報は永久なものなのでしょうか

1000年前の文書が歴史に残ってきたように、現在のデジタルのデータは1000年後に残っていくのでしょうか。もし残っていくのであれば、格段に情報量が増えたデジタルのデータは、後世に非常に有用に働くことでしょう。情報を大量に保管しているのが、一般の一企業という状態なのが、何とも不安なところです。

まとめ


歴史の勉強をすればするほど、過去の事にも興味が湧くと共に、未来から振り返って考える現在、歴史化した現在を見ることが出来ないことに、不思議な切なさを感じずにはいられません。

枕草子は、歴史に刻まれた悠久の時の流れと、そこに確かにあった人々の生きた時代を綺麗に映し出す、本当に貴重で素晴らしい記録だと感じます。

私も含め、現代の人の記録を少しでも残していけるよう、今を一生懸命生きている我々も可能な限り歴史に貢献したいものです。未来の人が羨むような幸福な世界である事を望むと同時に、未来がもっと今よりも幸福な世界であってほしいとも思います。

皆さんもこれを機会に、是非枕草子の世界を堪能してみてください。




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