2021年9月21日火曜日

「常識」という言葉に対する嫌悪感

event_note9月 21, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

「常識」は大事だが、ソレは本当に正しいか


今日はとある動画を見ていて、耳に入った「常識」という言葉について取り上げてみます。

正直に言うと、「常識」という言葉を聞いた瞬間、非常に強い嫌悪感を感じました。

こんなことは自分の人生の中でも殆どないことです。これまでの人生では、自分も「常識」という言葉を使って、色々な人と会話をしていたと思いますが、どうやら今現在の自分にとっては嫌な言葉になっているようです。

今回は、その嫌悪感の正体について考察していってみます。

過去の常識は現在の非常識


歴史を勉強していくと、過去様々な「常識」の基に非人道的ともとれる政策などが執り行われてきたことが分かります。これらは後の世で、多くの議論が行われ、世論が新しい考え方に傾いていき、徐々にこの世からなくなっていきました。

しかし、それらは間違いなく「常識」だったのです。


誰もが間違いでないことを疑わず、正しいことだと思って行っていた、それが「常識」ですが、後に考え方が変わっていくと、「常識」だったものは「非常識」へと変化したのです。歴史というのは、このような人々の考え方自体の成長を、つぶさに記録してきているのです。

恐らく私自身の嫌悪感の大元はここから来ているのでしょう。

特に最近でも「常識」を盾に特定の国を経済的に締め付けたりしていますが、これに対しても疑問を持っています。

植民地政策 - 過去の常識が覆る


「常識」が覆され「非常識」になった典型例は、やはり「植民地政策」だと感じます。

大航海時代から始まった、世界各地の香辛料を中心とした貿易航路の拡大は、世界的には16世紀ごろから始まり20世紀前半くらいまで、その利益増大のための植民地化は世界の常識でした。これには、武力で相手を威圧して、強制的に不平等な条約を締結し、相手の選択権や自由を奪うことを含みます。日本では被害の歴史の一端として、ペリー来航が知られています。

日本は、欧米諸国が先んじて行っていた植民地政策を、後から始めることを禁じられ、許されませんでした。結果として、国際連盟から脱退し、そういった欧米諸国と戦争という悲惨な交渉にでることになりました。


この「常識」を壊すきっかけになったのは、間違いなく第二次世界大戦であり、太平洋戦争(大東亜戦争)における、アジアの植民地解放の動きであると思われます。

何故なら、第二次世界大戦後に、植民地を元の通り力で支配しようと動いた欧米諸国は、アジアで抵抗されることとなり、次第に世論は「自由独立」と動き始めました。インド・ベトナム・インドネシアなどでは、様々な紛争・戦争が起こりますが、結果独立側が勝利を勝ち取り、現在のような各国の独立がなされました。

核兵器廃絶 - 現在の常識は正しいか


個人的に、核兵器という大量殺人兵器を作る事はもちろん反対です。

ですが、原子力発電は、様々な危険や甚大な環境への被害もあり、反対している人が多いのも承知していますが、私自身は必要なものだと感じています。特に化石燃料の消費を減らし、地球規模での温暖化への対策が必須と考えており、そのためにも原子力発電を活用することを十分検討すべきだと思うからです。

核兵器廃絶という「常識」が広まっているため、新たに核兵器を開発すると、その「常識」をもった国に非難される傾向があります。場合によっては経済制裁、時には突然戦争を仕掛けられるといったことまであります。

しかし、この「常識」を押し付けている多くの国は「核保有国」です。

つまり、自分は持っててもいいけど、新しく持つのは許さない、という考えなわけです。それを「常識」というのです。「非常識」なのはどちらなでしょうか。

過去の「植民地政策」と同じように感じるのは私だけでしょうか。

「リベラル」は非常識なら、自分はリベラルか?


冒頭で述べたとある動画は、個人的には殆ど興味がなくて、たまたまYoutubeのオススメに表示されていたので、何かの合間に再生しておこうという感じで視聴しました。

内容は「リベラル」についての討論です。


リベラルとは「自由主義」という意味合いで、実際には、「伝統的なものに縛られず新しい概念を打ち立てよう」と主張する人たちの総称として用いられる言葉のようです。言語の意味から少し飛躍した用語として定着している感じがします。

この動画の中で、政治学者の「岩田 温」氏はこう述べています。

リベラルは伝統や文化をバカにする傾向が強い。
(中略)
法律においては違法ではない。「常識」で考えたら…


私自身は、自分をリベラルだとは思ったこともないし、何ならリベラルって何なのくらいでしたが、岩田氏のこの発言には賛同できかねます。

「常識」は、もちろん日常生活においての非常に重要でしょう。ですが、物事を推し量る際に、「常識」を論ずることは正しくないように感じます。「常識」には危険な思想が含まれていることは往々にしてあることを、まずは認識する必要があるでしょう。

そんな考えの私でも、伝統は守りたい、特に日本の素晴らしい数々の伝統は、絶対に未来の日本に繋げていきたい、そう心から思います。

今の「フェミニズム」は概ね賛同できない


さて、「リベラル」の定義がどこまでか分かりませんが、「フェミニズム」についても同じ「リベラル」思想に含まれていると解釈されることもあるようです。

「フェミニズム」とは、男女同権論、女性解放論とされ、日本では主に女性に対する差別を訴える思想、またはそれに準ずる団体といった使われ方をする言葉です。類似したもので、Twitter上でフェミニズム的な言動をする人を「ツイフェミ」という俗語で表すこともあります。

この思想自体の根本は理解できます。

多くの国は「男尊女卑」の歴史を持っており、日本も例外ではありません。殆どの国で女性が政治に参加できるようになったのが20世以降で、日本も普通選挙へ女性が選挙権を持ったのは戦後の事です。

基本的には同じ人間であり、性別で差別することは正しくない、これ自体は当然の事であって、広く一般の認識となるべきものだと考えます。

ただし、現在のフェミニズムの活動の多くは、「本来そういう意図がない」ところについても「意図がないからこそ指摘するのだ」と主張して、差別を訴えています。これはすべての国民に等しく与えられている「表現の自由」を大幅に抑圧してしまっていると感じています。

男女にはそもそも「性差」が存在していて、生物的に均等にはなり得ません
参考になる討論を、またまたAbemaの動画の一つを張っておきます。この動画を見ていて、フェミニズムを訴える人には、本当に虫唾が走ります。


女性の柔らかさや美しい曲線を、商品のイメージとしてポスターに起用すると、「女性を蔑んでいる」と騒ぎ立てる始末です。むしろ、女性の良いところを商品イメージに起用しているのだから、男性よりも優位だと思うのですが。資本主義・自由経済についても理解がないように思います。起用した企業も、雇用されたモデルも、それでお互い納得しているのです。まぁこう言うと、それを見た女性が嫌な気持ちになった、と反論するのでしょうが。

ということで、今現在のフェミニストの主張は、ほぼ雑音にしか聞こえないわけです。

まとめ


「常識」という言葉は本当に難しいと、改めて感じました。

日本の常識、世界の常識、様々な思いや歴史がそこには含まれていることでしょう。ですが、「常識」という不定の概念にとらわれて、物事を誤って判断しないように、そもそも「常識は本当に正しいのか」と忘れないように、考えることが重要だと考えます。

そもそも日本の常識は、仏教や儒教、そして国家神道などから強い影響を受けた考えであって、それらが日常の生活で洗練され、今の共通の概念「常識」に成長していると考えられます。諸外国から日本の常識は非常に高く評価されがちで、一般的には「素晴らしい国」と言われ誇らしいです。

それでも「常識」が「正解」と誤認しないように注意したいものです。

これは、「資本主義」「自由経済」など、一般的には正しいとされる現代の「常識」についても同じように疑問を持っています。ですがそれはまた別の機会に。


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