2021年9月8日水曜日

エルトゥールル号遭難事件とトルコへの恩義

event_note9月 08, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

 トルコへの恩義を忘れない

今回はエルトゥールル号の遭難事故について記事にしてみます。

正直この事故について、現代の日本人の認知度は高くないでしょう。学校で習った記憶もなく、私も最近まで知りませんでした。(学校教育にないのか、私の記憶力が悪いのかはわかりませんが...)

エルトゥールル号の遭難事故以降、日本とトルコは外交上有効的な関係を築けています。今回記事にするのは、トルコ政府が我々日本人を助けてくれた過去について、しっかりと理解しておく必要があると思ったからです。


エルトゥールル号遭難事故


まずはエルトゥールル号の遭難事故について簡単に紹介します。



Wikipediaにも載っていて、ネット上にも多くの情報がありますので、簡単に紹介しますが、1890年(明治23年)に、日本の和歌山県沖で発生した、オスマン帝国(現トルコ)の船舶が座礁してしまい、多くの船員が亡くなられた痛ましい事件です。600名以上の船員のうち、500名以上が犠牲となっています。

この事故が発生した串本町の町民は、事故発生後に懸命な救助活動を行い、多くのトルコの方の命を救いました。

海は荒れ、食糧事情も悪かった中、海に潜っての懸命の救出、自分たちの少ない食糧も分けての、最大限の救助だったようです。その甲斐もあって、69名の方が助かりました。

明治天皇のご決断


救助された方々を、母国に送り返すにあたり、当時日本とオスマン帝国には民間の船舶の行き来がありませんでした。

しかし、明治天皇が「民間の船がないなら軍艦を使えば良い」という、今では考えられない凄まじい決断をされています。国防のためにも重要な軍艦を、他国の人を送還するということだけに2隻使用するという決断が、今の日本にできるのでしょうか。

ともあれ、この決断により、救助された方々はオスマン帝国へ出航します。

その後、オスマン帝国の領海を日本軍艦は通行ができなかったのですが、そこは素早くオスマン帝国側で通行許可の決定が行われ、無事日本軍艦に乗ったエルトゥールル号の船員は母国に帰ることができたそうです。

エルトゥールル号の事故は、昔の日本人も、現代同様「困ったときはお互い様」という感覚で、他国の言葉も通じない人たちを無償で助けていたということを現代にも伝えてくれており、非常に嬉しく、そして誇りに思います。私もそういう機会があれば、過去・未来の日本人に恥じないように行動したいと思うばかりです。

イラン・イラク戦争時の恩返し


それから時は流れて、1985年のイラン・イラク戦争時に、イラクのフセイン大統領から恐ろしい通告が出されます。

「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」

これによって、イラン国内は大混乱となり、国外に脱出しようとする人で空港は大混雑となります。各国から救援機がイランに飛び立ち、次々と多くの人が脱出していく中、日本は救援機を飛ばすことができず、民間機も危険な空域への飛行が行えませんでした。そのため、イランにいる日本人は空港で足止めとなってしまい、イラン国外への脱出ができませんでした。

そこで、トルコ政府が日本人救出のために救援機を出してくれ、日本人はその飛行機によってイラン国外への脱出を行うことができました。

トルコの方で、救援機に乗ろうと飛行場に集まっていた方々は、日本人に席を譲ってくださり、陸路で数日かけて脱出〜トルコ帰還を果たされたそうです。

その時の駐日トルコ大使の方が、「エルトゥールル号の恩を返しただけです」と発表されました。

過去の日本人が行なった善行のおかげで、現在の日本人が救われるという、まるで仏教か何かの教えのようですが、正しい行いをしていれば必ず報われるということでしょうか。ともかく、迅速に決断をし、救援を実際に行ってくれたトルコ政府には、日本は感謝の気持ちを忘れてはならないと思うわけです。

映画 : 海南1890


この一連の流れについて、時をまたいで一つにまとめた映画があります。それが、「海南1890」です。他にもエルトゥールル号について題材にした映画はいくつかあるようですが、私はこの「海南1890」だけ視聴しています。



迫力もあって、それぞれの時代の空気感も見事に描かれており、とても見応えがある内容でした。

特に印象的だったのが、エルトゥールル号事故の恩返しという美談ではなく、イランの空港内の空気が現実的だったことでしょうか。

多くの日本人が忘れているように、トルコの人たちもそんな事故のことは殆ど忘れられてしまっており、目の前の危険からの逃避で必死だったのです。そんな中で、どのように人々が考え、そして日本人が乗ることができるようになったのかといった、そのドラマが生々しく、感動的でもありました。

明治から現代につながる歴史的な出来事でもありますし、歴史好きなら見て損はない映画でしょう。


まとめ


今回は歴史的な事故と、それからつながる国際関係について取り上げてみました。

事故の知識を共有したいという目的よりも、トルコが助けてくれた恩を、日本人としてしっかりと共有しておきたいと思ったことが大きな目的です。

これ以外にも、他国に助けられたことが多くあるはずで、我々はそれらをしっかりと理解し、感謝を忘れないようにしたいものです。

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