「リーダー」は大きく2種類と考える
今回は自身の人生哲学というか、沢山の人と関わり、時に多くの人をまとめることで生計を立てていた経験などから学んだ自論を取り纏めてみようと思います。
2021年の日本社会の夏は、自民党総裁選挙の話題でもちきりです。出馬を表明している方々を見ながら、私の考える「リーダー」像の両極端を端的に表したような方々がいて、今回そういった見解をまとめておこうと思い立ちました。人の人生は短く、その中で培われることは人類の長い歴史からすると小さなもので、この考えが万人に理解されるとは思ってはいませんが、そのように理解している人もいるのだという参考程度になればよいかと思います。
簡単な自己紹介
私は、IT企業でSEとして働いていたのですが、大小様々なプロジェクトにおいて、リーダーとして、時には営業の補佐的な役目を果たしてきました。その中で、社内・社外合わせて多くの人と関わり、それを取り纏める仕事をしてきました。一方、役職としては企画開発部の部長として、社内に新しい企画・計画を提案し、事業の新しい道を模索する開拓者としての役割も担っていました。
統べる者(リーダー)とは
リーダーといわれる人は、統率者として大勢の人を導く役目を持った人のことを指します。多くの人々から支持され、その先頭に立って、その集団の未来に向けて様々な決断を行う非常に重要な役目でしょう。
この「リーダー」というのは、何も国とか会社とか、そんな大きなところに限ったものではなく、学生の部活動だって、町内会の集まりだって同じことで、その中心になって集団の方向性を決定している者は皆「リーダー」です。
そんな「リーダー」には、大きく2種類あります。
それは「率いる者」と「拓く者」です。
稀にそれを両方とも兼ね備えた強者もいますが、本質的にはどちらかが得意なことが多いでしょう。集団にとって、このどちらがリーダーになった方が良いのか、よく見定めることが重要です。これを誤ってしまうと、集団全体が不幸になることは明白です。
ここから、私の考えるリーダーの種類「率いる者」と「拓く者」について記載します。
率いる者
非常に一般的な「リーダー」といえば、皆から信頼の厚い、頼れる中心人物としての「リーダー」です。これは、主に人間関係の構築に長けていて、問題に対する自分の考えをしっかりと持っている人物でしょう。
こういった人間は、間違いなく「リーダー」の資質があると考えられます。
このリーダーの元では、集団は一致団結し、問題に対して確固たる一つの塊として向かい合い、一つづつ解決していくことができるでしょう。企業において、こういった人が陣頭指揮を持った場合、既存のプロダクトの売り上げが大きく飛躍するなどといった、目に見えた功績を出せるでしょう。私もこういった人たちを多く目にしてきました。
とても素晴らしいことですが、この「率いる者」には一つ大きな欠点があります。
それは必ず後手になっていることです。問題が提起され、それに対して十分に検討を行い、対処を行うことには長けています。集団からの信頼も厚く、自分の決定した方針に皆を導き結果を出すしょう。ですが、これは問題が発生した後の対処であり、いわゆる後手を引いている状態です。導いているように見えますが、これもいくつかある道を選んでいるに過ぎません。
拓く者
もう一つの「リーダー」は「拓く者」です。
その名前の通り、新たな道を切り拓くことを行うことができる「リーダー」です。もちろんいいリーダーは、元々集団からの信頼も厚く、多くの知識を持っていて、指示されている前提ではあります。
この「拓く者」の大きな特徴は、何もないところに新しい目標を設定できる人、でしょう。
集団の中で発生した問題に対する対処ではなく、この集団は大きな目標としてどうするべきなのかという、未来に対する明確な「ビジョン」を持っていて、それを集団に対して共有し、一致団結してその道に導くリーダーです。率いる者との大きな違いは、先手であることです。事が起きた後の話ではなく、事を起こしていくのです。
しかし、この手のリーダーにも欠点はあります。
それは、導いた先の未来が、成功とは限らないことです。問題の解決をする後手の対策であれば、大小あれど結果は成功することが多いでしょう。ですが、どうなるか分からない未来に一歩を踏み出せば、踏み外すことも大いにあり、不測の事態となることもあるでしょう。企業でいえば、新規事業に取り組みを始める、といった試みをする場合と例えることが出来るでしょう。その結果は、「やってみなければ分からない」のです。
この「拓く者」のリーダーであった場合、結果に納得しない集団の一員からは非難されることもしばしばですが、歴史的に振り返ってみた場合、その人が行った様々な方針は、失敗も含めて有用となることが多いのも事実です。
「率いる者」と「拓く者」の比較
間違いなく断言できますが、「拓く者」は「率いる者」に比べて、大変エネルギーを必要としますし、その責任に対する恐怖も格段に大きくなります。
「率いる者」は、そもそもその立場になる前から、多くの信頼を得ている場合も多く、それまでの延長としてその役職になっていることも多いため、何事にも自信をもって対処できることもあり、集団としても「安定」した状態、悪く言えば「停滞」した状態を維持することができるでしょう。
「拓く者」は、強力なカリスマ性を必要とし、それを伴わないものは妄言・狂信者として受け入れられないでしょう。自分の中で、所属する集団の方向性のビジョンが見えていますが、実際にその立場となって、具体的な一歩を踏み出す時に、「これで正しいのだろうか」といつも不安に駆られることになります。それでも踏む出さなければと、確固たる「意思」の力で奮い立ち、集団を導くのです。集団全体としては「不安定」になりつつも、何か大きな「前進」をみせるでしょう。
中国の歴史を参考にしてみる
リーダーについて考えるとき、特徴的なリーダーがいる隣国で馴染みも深い「中国」を想像するとイメージが湧きやすいかもしれません。
沢山のリーダーがいるのですが、分かりやすくここでは2名だけ例に挙げてみます。それと合わせて現在の国家主席である「習近平」氏についても少しだけ触れましょう。
「毛沢東」は「拓く者」
毛沢東は間違いなく「拓く者」のリーダーです。
勿論国が抱える諸問題に対する解決策としての政策であった点を鑑みると「率いる者」でもあったでしょう。ですが、見たこともない世界に中国という集団を導くため、「これまでにない新しい施策」を次々と打ち出していったことは事実です。そういう意味で、共産党国という新しい世界の開拓者だったのです。
新しい行政、新しい法律など、何もかもが新しく様変わりしていき、結果として現在の中国共産党政治の母体が形成されました。残念ながら、大躍進政策など、成功と評価することが難しい政策も多くあるのは事実ですが、その勇気、行動力などは評価に値すると考えます。
「鄧小平」は「率いる者」
革命後の中国共産党政治の体制を維持しつつ、大きな問題であった経済の低迷を、根本を変えずに解決に導いた鄧小平は、歴史上大変偉大な「率いる者」でしょう。
彼が行った「社会主義市場経済」という方針転換は、それまでの共産主義思想からは懸け離れてはいるものの、国という集団を見事に幸福で裕福なものへと変貌させました。彼のリーダーシップがなければ、今日の強力な中華人民共和国はなかったのではないでしょうか。
彼は新しい試みを行っていて、「拓く者」と思われるかもしれませんが、これは毛沢東から始まる諸問題に対する「後手政策」であることは疑いようがありません。
そして「習近平」氏は切り拓く
さて、彼ら2大リーダーが培った中国ですが、「習近平」国家主席はどのように「リーダー」として導いていくのでしょうか。私の中では既に彼は「拓く者」の分類です。
彼が掲げた「一帯一路」の方針。
これの中身は関係ないのです。国として、大きな方針を新しく示した、このことが大きな要素です。これができるのは、恐れながらも、葛藤しながらも、皆を導いて新しい世界に進んでいくのだ、という覚悟がある者だけです。
これから習近平が率いる中国は、これまでにないほど「不安定」な時期があるでしょう。ですが、その先には、これまでとはまた違った中国の形が必ず待っていることは明白です。その結果が「幸福」か「不幸」かは、残念ながら進んだ先の未来でしか分かりませんが。
2021年 - 自民党総裁選について
中国の先人リーダー達について、長いこと語ってしまいましたが、2021年現在の自民党総裁選挙について話を戻していきましょう。
今回、出馬を表明している「高市早苗」さんと、「河野太郎」さんについて見ていくことにします。私自身は、河野太郎さんのこれまでの外交姿勢や、防衛大臣時代のハッキリとした物言いには非常に好感をもっていますし、高市早苗さんについては、出馬会見前後まではあまり情報を持っていませんでしたが、本当に多くの知識を持たれた聡明な方だと思っています。
基本的に、両名とも現在の日本における問題点の対処を政策としており、そういう意味では「率いる者」の一人でしかありませんが、もう少しリーダーとして掘り下げて考えてみます。
「高市早苗」は「拓く者」か
出馬会見は、本当に長かったです。Youtubeで生配信をずっと視聴していましたが、本当に多岐にわたって考えを述べられていたため、質疑応答まで含めて2時間程だったと思います。その間、どのお話も興味深く拝見でき、暇することもなく、大変有意義な時間でした。
もちろん、政策については人それぞれの意見があるとは思いますが、出馬会見なので、彼女の「考えを聴く」ことが重要であって、そうじゃないとかいう反論は筋違いでしょう。
その中でも、特に興味を引いたのは「防衛」と「エネルギー」についてでしょうか。
「防衛」については、海底ケーブルや衛星の防御について言及されており、その言葉には、国防概念を根底から変えていこうという意思を感じました。また、「エネルギー」に関しては、カーボンニュートラルを見据えた上で、原子力発電の利用を肯定しつつ、安全面について可能な施策を具体的に示されていました。原発廃止が騒がれる中で、この方針を堂々と会見の場で表明するのは「確固たる意志」がなければできないことでしょう。
自分の描く未来の日本のビジョンに、自分が先頭に立って「導く」というリーダの姿が感じられ、停滞して低迷する日本を「切り拓く」リーダーになる予感が感じられました。
「河野太郎」は「率いる者」
外務大臣時代、防衛大臣時代、そしてワクチン担当大臣と、大きな実績を残し、国内への巧みな発信力で、多くの国民に支持されている河野さんですが、出馬会見は驚くほど短い時間でした。質疑応答含めても1時間程度、出馬表明自体は15分くらいだった気がします。終わった瞬間にリアルタイムのチャット欄が「終わり?」といった疑問の投げかけが物凄い勢いで流れていっていたのが特に印象的でした。
その内容も、自身の功績の紹介から始まり、それ基づく自身の考え方のアピールといった、良くも悪くも典型的な出馬表明、といった感じでしょうか。高市早苗さんの内容の濃い表明会見を観た後であったこともあり、内容の希薄さが際立ちました。その後の質疑応答においても、質問されたことに対して、抽象的な方針を述べるのみに留まり、具体性の欠ける答弁ばかりで、正直政策の実態は見えず仕舞いでした。非常に残念です。
「エネルギー」問題についても、同じくカーボンニュートラルを見据えて原発反対論は方針転換を示したものの、原発はいずれなくなる、まずは省エネといった、抽象的で解決のビジョンがまったく見えない内容でした。特にこの件は高市早苗さんとの違いが明確に感じられました。
まとめ
さて、ここまでリーダーの話を繰り広げてきたわけですが、今回の自民党総裁については誰が適任なのでしょうか。「停滞と安定」を目指すなら河野さんでもいいかもしれませんが、私自身は「日本の未来に導く」リーダーとして高市さんが良いのではないかと思ったりしています。河野さんも大好きなのですが、もう少し経験を積まれてからでも良いかもしれません。
第100代の総理大臣が、初の女性総理となり、その歴史上に私も生きていた、となればちょっと嬉しい気もしますし。
冗談はさておき、今の日本としては、台頭する中国に対する警戒「国防」は重要課題ですし、環境問題への取り組みは、地球全体一丸となって行うべき「最重要課題」です。正直脱炭素の政策も2050年とか言っていますが、それまでに起こる水害や豪雪、森林火災などを考えると遅すぎると思っています。経済とのバランスも考えなければなりませんが、まずは高市さんくらい明確なビジョンを持っている方が、ある程度の反対もあるでしょうが、その意志の力で歩み始めてもらいたいと思うわけです。
学んだことは直ぐに実践
今回は政治の話を恐れず書き連ねました。
リーダー論のはずだったのですが、政治の話になるとどうも熱くなってしまいます。ですが、ドイツの「政治議論を重ねて独裁者を産まないようにする」考え方を知ってからというもの、私も恐れず自分の意見を言っていこう、できることから行動していこう、と強く思うようになり、今後もこういった話題を上げるかもしれません。反論こそ望むところです。日本人ももっと熱く論争しましょう。誹謗中傷や煽りは不要ですが…
私自身の政治論議を恐れない考えに至った経緯の記事について置いておきます。参考まで。
コメントを投稿