2021年9月10日金曜日

中国起源の故事 - 狡兎死して走狗烹らる

event_note9月 10, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

中国起源の面白い故事成語


今回は、ちょっと中国の故事(故事成語)の話題を取り上げてみようと思います。

もともと私は普通の会社員として、IT関連の中小企業で働いていました。その中で、多くの部下を抱えたSEでもあり、企画開発部の部長として、会社経営にも参加するポジションにいました。会社には本当によくしてもらっており、様々な経験をし、多くの部下とも良好な関係を築いておりましたが、体調面に問題を抱えてしまい、退職するという運びになりました。

そんな中で、厳しい現場の火消し的な役割も担っていたわけですが、そこで様々な状況におかれ、思い出すような言葉がありました。それが、「故事」と言われる昔の方々からの言い伝えや名言のようなものです。

今回は、そんな昔の人が言っていた言葉をいくつか紹介しようと思います。

「狡兎死して走狗(良狗)烹らる」


最初に紹介するのがコレかよ、と知っている人は思うかもしれません。ちょっと怖い言葉ですが、厳しい状況に立たされた際によく思い出していて、印象に最も残っているものなので紹介します。

「こうとししてそうくにらる」と読み、意味は「利用価値があれば重宝され、不要になれば捨てられる」というものです。狡賢いウサギを捉えるために重宝されていた走狗(犬)が、ウサギを捕まえた後は煮て食べられてしまうという言葉です。

これは中国で秦を倒した漢の武将であった韓信という方の言葉とされています。彼は、統一のために他の家臣とは比べ物にならないほど活躍・貢献しましたが、秦を打倒した後の世の中では、その武力・知略を恐れられ、疎まれてしまい、結果死に至らしめられました。その時に、自分の境遇を鑑み、このような言葉を遺したとのことです。


これは、紀元前300年とか前のお話ではありますが、現代の資本主義社会の中でも往々にしてありうることで、こんな不義理で納得ができない賞罰や人事などは、日常茶飯事なのではないでしょうか。私が勤めていた会社はとてもよくしてくれていましたが、例えば取引先、例えば先輩など、様々な人付き合いの中で起こりうることでしょう。

長い年月をかけて、人は大いなる科学の力を得ましたが、人間の本質としては2000年前となんら変わっていないということです。そのことを理解し、時には納得、時には諦めも必要だと心得ましょう。

項羽と劉邦の時代


その他の故事を紹介する前に、項羽と劉邦の話を少ししておきましょう。なぜなら、今回紹介する故事は、すべてこの時代のものだからです。

項羽と劉邦というと、日本では昔ゲームになったりして、戦国史や三国志などに興味のある方であれば、名前を聞いたことがあるかもしれません。ですが、織田信長や豊臣秀吉に比べると、中国の方ということもあって知名度はそれほど高くないでしょう。

彼らは、中国最初の統一王朝である「秦」を倒した英雄達です。そして、彼らは共通の敵「秦」を倒した後にお互い争い、劉邦が勝利したことで皆が知っている統一された「漢」が生まれたわけです。劉邦は「漢」の初代皇帝となります。


「秦」というと、2021年現在では「キングダム」という漫画・アニメが有名なのではないでしょうか。私自身は最初の方しか視聴できていませんが、このお話は「秦」を起こすに至る「始皇帝」の人生物語だと認識しています。

各地で争った末、はじめて全土を統一した「始皇帝」は素晴らしい功績を残しましたが、統治においては非常に厳しい法律で国民を締め付けたため、反乱が各地で起こり、それが結集して倒されてしまうという末路になるわけです。その過程で、様々な人物が多くの物語を紡ぎ、今に伝わっているというのが「項羽と劉邦」のお話 = 史記です。

項羽と劉邦について興味の湧いた方には、分かりやすく紹介してくれている動画がありましたので、ここで紹介しておきます。


その他の有名な故事


さて、項羽と劉邦のお話を語ったところで、もう少し故事を紹介しようと思います。

我々の普段の生活において、何気なく使用している言葉にも、この時代の言葉が普通に使用されていることを知らなかったりします。そういう意味では「語源」という解釈でも良いのかもしれません。語源といっても、言葉が変わっているわけではないのですが。

左遷 (させん)


現代社会においても、ミスをした社員を遠く地方に転属させるといったことが行われ、これを「左遷」と言いますよね。概ね低い地位に落とす時に使用されます。

この言葉も、項羽と劉邦の時代に使われたことに由来しています。

「秦」の首都を制圧した劉邦は、そこを略奪したりせず、平和的に守りますが、遅れてきた総大将の項羽はその方法を否定し、焼き払い、略奪の限りを尽くします。そして、先に首都を落とした劉邦を、ど田舎の地域に異動命令を出します。このことが左遷の由来となっています。

「左」というのは、中国では昔卑しい・忌まわしいとされていて、劉邦の異同を忌まわしい土地(左)へ遷るとしたわけです。

現代でもあまり聞きたくない言葉ではありますが、2000年以上前から行われいた、ある意味由緒ある方法の一つなのですね。ちょっと「狡兎死して走狗(良狗)烹らる」と似た空気を感じます。

背水の陣


これも日本では有名な言葉ですね。逃げ場を捨てて、大きな問題に向かって挑戦する時の体制を表現していて、絶体絶命の時などに奮い立たせる意味で発せられることがあるような気もします。

この言葉も故事で、同じく項羽と劉邦の時代から伝わっています。ここまで劉邦のお話ばかりでしたが、こちらは項羽のお話です。項羽は軍神のようで、兎に角滅法戦に強く、武力も凄まじかったそうです。

項羽が軍を率いて「趙」を城攻めする際に、わざと川を背にして陣を張ることで、軍全体の退路を絶ちました。これを見て籠城していた「趙」は戦を知らないとして笑ったらしいですが、項羽軍は城をなんとか落とさないと命がないわけで、無我夢中で戦い勝利するに至ります。



必ずしもうまくいくわけではないですし、そもそも現代の紛争・戦争などでは、技術力や様々複雑な条件が絡み合い、このように単純には解決できないでしょう。「死中に活を求める」とか如何にも旧日本軍の精神論のようで、私は好きになれません。合理的に分析してそれぞれ対処を決定したいところです。

ですが、現代においても、戦争以外のビジネスシーンなどでも、全てを投げ捨てて挑戦する際などの気持ちを表現される上で使用されます。使用するときは、是非項羽の姿を思い浮かべてみましょう。

四面楚歌


戦に強かった「項羽」にも最期が訪れます。

この「四面楚歌」という言葉は、そんな追い詰められた項羽の言葉です。「四面」というのはそのまま四方を囲まれているという状況を表し、「楚歌」というのは「楚」という国の歌です。籠城していると、囲んでいる敵兵皆が祖国の「楚」の歌を歌っているという状況です。

今では、「周辺を囲まれている」という状況でこの言葉が使われがちですが、言葉の意味としては、「周辺を囲まれ、周りは元味方」という絶望の中の絶望的な状況なわけです。


一地方から父親とともに立ちあがり、諸国を転戦・勝利していく過程で父を失い、悲しみを乗り越えて「秦」討伐の偉業を成した後、共に戦った仲間に裏切られて追い詰められる、そんな項羽の気持ちはどれほど無念で、どれほど悔しかったことか。

項羽のように優秀な戦士であっても、苦手な分野などでの力不足を認め、優秀な人たちからの提案を受け入れる柔軟さ素直さを忘れると、このような結末になるのだという戒めとして、しっかりと言葉の意味を理解する必要があるでしょう。

まとめ


今回は、史記 = 項羽と劉邦の時代から伝わる故事(故事成語)から、過去から現代に至るまで変化のない人の本質や、自分の行動についての戒めまでを、簡単にまとめてみました。

歴史や宗教を学ぶのはとても興味深く、面白いことですが、こうして普段紡いでいる言葉の中にも、多くの歴史的な意味が含まれていることを改めて感じることになりました。そもそも我々が使用している「漢字」は中国から日本に伝わり、それが進化したものです。

2021年現在では、中国との関係は良好とは言えないかもしれませんが、元はお互い文化的な関係を続けてきて、共に発展してきたのです。なんとか一丸となって協力する関係を築けないものでしょうか。「地球温暖化」をはじめ、共に挑まなければならない問題や山積みです。


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