ゲーム等に登場するマナは宗教由来の言葉
ファンタジーゲームなどに、魔法やスキルなどの能力を使用すると消費するステータスとして「マナ」というものがよく登場します。Magic Point(MP)のように違う表現がされることもありますが、架空の言葉であるにもかかわらず「マナ」と表現する作品が非常に多く、語源が何なのか気になる人もいるのではないでしょうか。
実は、「マナ」の語源はとても有名な宗教であるユダヤ教にあります。
今回は、マナの語源となった宗教について紐解きながら、元々はどのようなものだったのかを紹介しています。ゲームや小説などに登場することも多いので、雑学として知っておくと、一味違った作品の楽しみ方ができるかもしれません。
「マナ」はユダヤ教の聖書(旧約聖書)に登場する
マナは旧約聖書に登場します。聖書については深く掘り下げませんが、ユダヤ教の聖書は一般的には旧約聖書として知られています。ただ、旧約聖書という呼び方は、キリスト教からユダヤ教を見た時の表現であり、キリスト教を認めていないユダヤ教としては唯一無二の聖書です。
ユダヤ教は、キリスト教とイスラム教の元になっている歴史の長い一神教です。派生したキリスト教とイスラム教においても、ユダヤ教の聖書は正しいものであると認められています。(画像 : NAKATA Universityで紹介されていたWhite Boardより)
派生したキリスト教とイスラム教は、中東やヨーロッパを中心に拡散し、現在では世界3大宗教に数えられていて、世界中の多くの人がユダヤ教の教えや聖書の物語などについて、断片的なものも含めて多くの知識を共有しています。
ユダヤ教の有名なお話としては、アダムとイブの物語やノアの箱舟などがありますが、「マナ」もそれらと同じくユダヤ教で登場する言葉です。
出エジプト記でカナンの地を目指すユダヤ人
ユダヤ教の聖書の物語はいくつかに分かれていて、マナが登場するのは「出エジプト記」という物語です。
「出エジプト記」の内容はタイトルのままですが、エジプトを出発するお話です。
ユダヤ人は元々神によってエルサレム(現在のイスラエル)に居住していましたが、時代を経て散り散りとなり、多くのユダヤ人はエジプトで奴隷として生活していました。そこに神からのお告げがあって、神に与えられた地であるエルサレムを目指して奴隷たちがエジプトを出発します。出エジプト記では、その道中の旅の模様が描かれています。
目的地のエルサレムのことは「カナンの地」と呼ばれ、この言葉もファンタジー小説やゲームなどで度々耳にします。少し古いゲームですが、テイルズオブエクシリア2という作品では、非常に重要な目的地として「カナンの地」という言葉が登場していました。
海を割ったことや十戒で知られるモーゼがユダヤ人を導く
出エジプト記には様々な人が登場しますが、ユダヤ人を導く役目として登場するモーゼは非常に有名なので、知っている人も多いのではないでしょうか。
エジプトからの追ってから逃げるために、海を割って人々を救ったり、人々が最低限まもるべき戒めとして10個の決まりを記した十戒などが非常に有名です。非常にドラマチックな展開で、映画に描かれたりもしています。
モーゼが海を割るシーンはファンタジー世界の魔法のようで、とても幻想的で強烈なインパクトがあります。何千年も前の人が考えた架空の出来事とは思えず、実は本当に海が割れたのではないかと思ってしまいたくなるほどです。
エジプトからカナンの地を目指す旅は、非常に長い距離を徒歩で追手から逃げながらでもあり、非常に困難な道のりであったことが分かります。
40年間神によって与えられた食料「マナ」
カナンの地を目指した果てしない逃避行の間、当然ながら人々には食料が必要です。
現代のようにお店で食料品を買える時代でもなく、そもそも奴隷が逃げている状況なので、生き延びるための糧や金目のものすらない状況です。モーゼに導かれていましたが、とうとう人々はシンの荒野という場所で飢えてしまいます。(出エジプト記 16章)
モーゼが神に救いを求め、その祈りに応じて神が天から降らせた食料が「マナ」です。
マナは、白くて甘く高温で溶ける性質があり、毎日決まった量を食べることになっていて、採りすぎは禁止で、食べないと直ぐに腐って悪臭を放つものとされています。実際には何だったのかは現在も不明なままで、多くの研究者たちが今も様々な推論を立てています。
ゲームなどでは精神力などを意味するためか、青いエネルギーのような表現で描かれることが多いように思いますが、マナは元々は白くて甘い食べ物ということで、少し意外な印象があります。
マナは、カナンの地までの40年の旅の間、神から与えられ続けられたとされています。
何気なく知っている言葉の中にもある宗教
ヨーロッパや中東など、世界に広がった文化の発祥となっている地域では、ユダヤ教やキリスト教の信仰心は強く、考え方や倫理観なども含めて様々な言葉の中にも宗教を語源とするものがあります。
日本でも、クリスマスのような宗教色の強い行事だけでなく、普通に暦として使っている週の概念(旧約聖書の創成期)のような身近なところにも宗教由来のものが多くある事に、宗教とは距離が遠いと思っている日本人としては驚くことがあります。
芸術作品として非常に有名なダビデ像(ミケランジェロ)がユダヤ教の登場人物を描いていると知ったときには本当に驚きました。
色々な事を知っていくと、人々の生活や社会の倫理観などに宗教の教えや聖書の物語に由来するものがあったりすることも多く、この何千年も伝えられる壮大な物語やそれを信じる人たちへの興味は尽きることはなさそうです。
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