2021年10月25日月曜日

「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」を正しく解釈 | 学びと行動の重要性

自分の失敗を防止するために他者から学ぶ


「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」

この言葉はドイツの鉄血宰相と言われたビスマルクの言葉として知られています。


私は歴史を学ぶことが好きな人間でもあり、この言葉は非常に好きです。また、非常に合理的であるとも思うのです。過去の歴史は、例え今と状況が異なっていたとしても、結局同じ人間であり同じような思考回路で物事を考え、結果として様々な成功や失敗を記録しています。それらから色々学べることがあり、それは現代社会でも役立つことも多いでしょう。

ですが、このビスマルクの言葉は、名言として日本語にされる過程で少し意訳されてしまっていることもあり、正しいニュアンスで解釈していない人も見かけます。

今回は、そんなビスマルクの名言について紐解きながら、学びなど具体的な行動指針についてどうするのが良いのかを考えてみます。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」とは


冒頭に述べた通り、この「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉は、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの名言として知られています。

ただし、原文のドイツ語を直訳した文章では、若干ニュアンスが異なります。

(原文)
Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

(直訳)
愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。


日本語の名言にある「歴史」という言葉は出てきません。
ビスマルクの言葉としては、「歴史 = 他人の経験」といった意味で、過去の出来事などを含めた歴史というニュアンスではなく、先人の様々な行動とその結果という意味での「経験」という言葉です。


私のように歴史が好きで、それを学ぶから愚者ではなく賢者だという話ではないのです。

ビスマルクのこの言葉を日本の言葉に言い換えるとするならば、「人のふり見て我がふり直せ」に近い意味でしょう。多くの人が知っているこの言葉は、「他人の失敗を見て、自身も同じ失敗をしないように行動を改める」という意味で、ビスマルクの言葉の直訳に非常にニュアンスが近いように思います。

竹下登(第74代 総理大臣)の座右の銘


この言葉に共感し、同じように考える人は多いですが、日本の著名人の中にもこの言葉に共感している人がいます。

日本に消費税を導入することに成功した総理大臣「竹下登」氏は、このビスマルクの言葉を座右の銘としていたそうです。


ビスマルクはドイツで卓越した政治・外交手腕を振るい、紛れもなく「偉人」でしょう。そういった政治家の重みのある言葉であったからこそ、竹下登氏は共感し、そしてビスマルクの様な立派な政治家として活躍しようという気持ちだったのかもしれません。

竹下氏については様々な評価がありますが、私自身は「一つの時代を築いた政治家」とは思っています。絶大な影響力をもって昭和末期の混沌とした政治をまとめ上げ、総理大臣退任後も後継を支えた、いわば戦後日本の派閥政治の完成系だったとも言えるのではないでしょうか。

鉄血宰相ビスマルクという偉大な人物とその偉業


名言として発言を語り継がれることになったビスマルクという人はどのような人だったのかを確認していくことにします。


本名を「オットー・フォン・ビスマルク」と言い、1815年4月1日 - 1898年7月30日に生存していたドイツの政治家です。

当時のドイツ周辺は、今の様な国の形態ではなく、分裂した大変な状態でした。そういった状況の中で、政治的な素晴らしい功績を残し、各国に絶大な影響を与えたことで、ひと際有名になったと言えるでしょう。

経歴としては、「プロイセン王国首相」-「北ドイツ連邦首相」-「ドイツ国首相」と、激動のドイツ政治を牽引する役割を果たし続けています。

以外にも青年期はやんちゃで教師たちも手に追えない程で、女癖も悪かったようですが、幼少期に親の教育方針で非常に厳しいスパルタ教育を受けていて、学力はあったようです。逆に言うと、あまりにも厳しい教育を受けたために、高校生くらいからその反動が出てしまったともいえるでしょう。その後定職に就くもうまくいかず、地方に帰って生活していたのですが、目当ての女性がいるキリスト教の集会に参加した際に、政治家と知り合い意気投合し、政治家への歩みを始めるという人生です。

その後の活躍や偉業について、少し見ていくことにします。

「鉄血宰相」の由来


ビスマルクというと「鉄血宰相」として非常に有名です。名言と同じでこれも彼の発言に由来しています。

彼がプロイセン王国の首相になった時代は、絶対王政の呪縛から解き放ち、自由な活動を行えるようにする「自由主義」というものが盛んな時代です。フランスのナポレオンに始まり、ヨーロッパ全土が王政からの脱却をしようと積極的に活動していたのです。

ドイツ統一を目指すビスマルクは、プロイセンの優位性を確保するために軍拡を推しますが、この自由主義者たちから反対されることになり、それに対する演説から「鉄血」の異名を与えられることになります。

彼は、プロイセンの躍進とドイツの統一は「演説や多数決ではなく、鉄と血によって成されるのです」と説きます。要するに民主主義などではなく、軍事で解決するのだという意味で、非常に恐ろしい発言と感じます。この演説は「鉄血演説」と言われ、後のビスマルクの軍拡政策は「鉄血政策」と言われるようになります。これは日本の明治時代に行われた「富国強兵」政策と言えるでしょう。


このように、ビスマルクは時々突拍子もない危険な発言をして、周囲を戸惑わせますが、自分の信念に基づき、他者の評価を顧みず、確固たる意志で貫き通すという非常に力強い人間性を感じさせます。

ちなみに、ビスマルクの政治の進め方はかなり強引で、例えば憲法改正についてなどでは、国会での審議が否決された場合の事が憲法に明記されていないことを利用して、「否決された場合は政府が自由に決めていい」などという解釈を持ち出して強行したりもします。

ドイツの統一 - オーストリアやフランスとの確執と戦争


ドイツ地方は当時統一されておらず、何と38個もの国や地域に分裂しているといった状態でした。その中で大きな力を持っていたのは、ビスマルクのいる「プロイセン王国」や「オーストリア帝国」などです。


ビスマルクの時代1850年頃は、産業革命も既に行われいて、イギリスやフランスなどは近代化が進み、ドイツはとても太刀打ちできない状態になっていたのです。日本では江戸末期、いよいよ尊王攘夷~明治維新という頃合いです。世界の近代化が異常に加速化している時代と言えるでしょう。

ドイツの統一は簡単ではありませんでした

大きな問題点としては、オーストリアがドイツの地方を含んでいるのに、ハンガリーなどの他国を有していたため、ドイツとしてまとめようとすると、ドイツ人でない国が含まれるかオーストリアが分裂するしかないような状態だったためです。そして、このオーストリアが絶大な発言力を有していたのも足枷となります。

普墺戦争【ふおうせんそう】 - プロイセン vs オーストリア (1866年)


最終的にはプロイセン王国とオーストリア帝国は軍事的に衝突することになります。1866年に普墺戦争【ふおうせんそう】が勃発し、ドイツ連邦諸国の多くがオーストリア側についたにも関わらず、軍拡を進めたプロイセンが7か月で勝利を手にします。

結果として、オーストリア主体だったドイツ連邦を解体し、新たにプロイセンが主体となる北ドイツ連邦を立ち上げます。



普仏戦争【ふふつせんそう】 - プロイセン vs フランス (1870年)


ドイツ統一も時間の問題かと思われましたが、隣国フランスから干渉され、事は順調に進みません。フランスとしては隣国に強大な国家が誕生することは国防上看過できなかったのでしょう。様々な外交交渉や事件なども起こりますが、最終的には軍事衝突することになります。1870年に普仏戦争【ふふつせんそう】が勃発し、プロイセンを中心としたドイツ諸国とフランスが戦争状態になります。フランスが圧倒的に有利だったのですが、プロイセンの卓越した軍略によりフランスは敗戦を続け、降伏することになります。

こうして幾度もの戦争を軍拡と軍略によって乗り切ったドイツは、晴れてドイツ帝国として統一することに成功します。


ビスマルクは、この時代の外交政策や軍拡の方針など全てについて、首相の立場で最終決定を下していたことになり、その手腕が非常に高く評価されているのです。





ここまでは「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」の名言と、その言葉を残した鉄血宰相ビスマルクという人について紐解いてきました。

しかし、この名言を単純に鵜呑みにするのではなく、理解した上で、現代社会においてどのように活用していくのかを考えて行きます。

実際には経験で学ぶべきものは多い - 管理者の腕次第


「失敗は絶対に許されない」状況というものが存在します。

その場合、失敗の可能性を極限まで下げるため、あらゆる先人の失敗例などを調べ上げ、その原因から自己の行動指針を決定していく必要があるでしょう。実際ビスマルクは首相という政治の最高決定権を有していたわけで、その失敗は国家の行く末を危うくします。

経験を積みながら「自身の失敗」から学べることは非常に多く、それは実体験として非常に優れた知識にもなります。

現代のビジネスシーンでも、新人や後輩の教育を兼ねて、経験をさせるということはよく見受けられます。失敗を恐れて仕事を任せないことを続けると、その後輩はいつまでも新人のままでしょう。


その際に重要なのが、「最終的な失敗を防止」することです。つまり、失敗をカバーする体制づくりやスケジュールの余剰などを的確に整備し、例え失敗が途中にあったとしても、最終的には予定通りの成果をだすことです。教育を受け持つ管理者の実力が問われるところでしょう。

こういったことができる管理者は非常に優秀であるとされ、成長した多くの部下を持ち、高い地位へと出世していくことになるでしょう。

日本のことわざにもあるように「百聞は一見に如かず」でもあるのです。先人の失敗から一生懸命学ぶことも大事ですが、何事もやってみれば理解も速いのです。こういった実戦経験で学ぶ教育は、特にIT業界などでは顕著でしょう。歴史の浅いIT業界では、先進的な取り組みも多く、他者の経験から学べることは非常に限定的な状況なのです。

最先端は他人の失敗経験もない - 経験が全て


ビスマルクを含め、歴史や他者の経験から学ぶことができるということは、それは誰かが既に実践したことがある事、いわゆる二番煎じです。

科学技術などの最先端では、そもそも人類史上初の試みが多数行われていて、そういう業界では歴史もなければ他者の失敗経験なんてものも存在しないのです。ただ、類似したことから結果を推定することは可能で、それは可能な限り行うべきでしょう。

科学の実験のように、実際に体当たりで行動し、その成功や失敗から様々な経験や知識を得ていくのです。先に述べた通り、失敗してはならない状況の場合、最終的な帳尻を合わせる努力や計画は必要になります。

「先人の経験から学ぼうとする姿勢」は重要


新しいことを始める場合、先人の失敗例が少なく学べることが殆どない事もありますが、それでもビスマルクがいうように、「先人の経験から学ぶ」姿勢は大事にするべきでしょう。

ここ最近では、地球温暖化対策で世界的にガソリン車を廃止し、電動車への移行を急速に進めようという動きが強まっています。日本や中国は2035年に新車販売を停止することを目標に、様々な政策を進めているところです。


このEV化についても、中国は世界で最も早く進めた結果、充電スタンドが過疎化で営業ができないような状態となっていたりと、様々な問題が発生しています。今後日本も同じように充電スタンドの拡充を行っていくことになると思いますが、こういった先例から正しく学び、自身の失敗を回避するための努力が必要になるでしょう。

例え最先端な取り組みであっても、過去に類似したものがないかなど、十分に検討することは非常に重要で、成功率を高めることに役立つでしょう。

学びは重要だが「行動することが最重要」


先人の経験や歴史の流れなどから、自身の行動結果を推測し、何に注意しなければならないのかを「学ぶ」ということは非常に重要です。

しかし、学ぶことに注力していると、本来の目的であった行動がおろそかになることがあります。これは、「学ぶという手段」が「目的」となってしまっている典型です。本来の目的はその学んだ先にあったはずなのです。

最も重要なことは「行動する事」であることを絶対に忘れてはなりません。

学び得た知識を有効に活用し行動するのが最善ですが、学ぶことで行動することができなくなるのであれば本末転倒です。そういった場合は思い切って学ぶことを切り捨てでも、最も重要な「行動すること」を選ばなければなりません。


判断する情報が足らず決断や行動ができないのは、最低な結末です。ただ、「行動しないという決断」はありでしょう。同じ結果ではありますが、「行動できない」と「行動しないことを決断する」ことは別次元の話です。危険性や不明な見通しから、行動しないことを決断し、その後の状況で改めて行動指針を決定するということは、重要局面では往々にしてあるでしょう。

学んだり情報収集することは重要ですが、それが最終目的でない事だけは決して忘れないように注意しましょう。

学ぶことは「時間を要する」ことも考慮する事


そして最後に重要なことを確認しておきます。

行動する前にあらかじめ先人たちの歴史や失敗経験を学ぶことは、どうしても失敗できない際に取るべき非常に重要な手順です。

しかし、学ぶことには相応の時間が必要になることも忘れてはなりません。

既にそういった事例がデータベースのように整理されていて、思ったとおりの情報が引き出せるのであれば時間は短くて済むのかもしれません。ですが実際には類似したものがあるかどうかの確認から始まり、その記録が文字なのか映像なのかなどによっても得られる情報の質は変わってきます。

「時間をかけた割に学べた知識は少なかった」ということも十分に考えられるのです。

だからと言って、先人の経験から学ぶのを止めるべきだという話ではありません。

直前になって学ぼうとするから時間が足りないという事態に陥るのであれば、前もって予め学んでおくべきなのです。つまり、常日頃から様々なことを想定し、多くの歴史や先人の経験を学び、不測の事態に備えるのです。



まとめ - 学びの重要さと経験から得られるモノ -


ビスマルクの名言「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」から導き出された私なりの結論は以下の通りです。

学びは重要だが、経験から学べることも多い。
常日頃から歴史を学んで備え、積極的に行動しよう


経験から得られる知識というのは、学びで得たものよりも質が優れていることも多く、実体験を伴っているため記憶にも残りやすいでしょう。しかし、失敗する可能性を極限まで減らすために、事前に可能な限り学び、備えることが大切です。

今後の人生において、そういった考えのもとで様々なことを学び、そして何よりも積極的に行動することが大切です。学びによって武装していれば、失敗を恐れる心配も少なくなるでしょう。

私たちはそうやって、先人の知識を活用しながら、多くの経験をして成長します。そしてその行動結果は、次世代の人たちへの有用な情報として、歴史に刻まれていくのです。

最後にビスマルクについて非常によく素晴らしくまとめられた動画を紹介しておきます。ゆっくり実況形式ではありますが、内容も大変分かりやすく、字幕も丁寧なため、とても参考になりました。感謝。



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