2021年10月10日日曜日

属国の歴史 - 朝鮮半島の過酷な運命

event_note10月 10, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

各国に蹂躙され続ける朝鮮半島の歴史を学ぶ


日本に住む私たちにとって、朝鮮半島は近隣の国として、歴史上非常に密接な関係にあり、多くの人が興味を持っている土地でもあります。

しかし、現在の日本人の中には、「北朝鮮」や「韓国」についてあまりいい印象を持っていない人も多くいます。特に「北朝鮮」はミサイル実験をしたり、核開発をしたりと、他国への威嚇のような行動が目立ち、日本人にとって印象は良くないみたいです。

北朝鮮と韓国に対する私の印象と、歴史を学ぶ方向性


私自身は、それほど北朝鮮については悪く思っておらず、むしろ北朝鮮へ圧力をかけ続けている先進諸国のやり方が、歴史上日本へ行っていた圧力と被って考えられるところもあり、被害者なのではないかと感じています。


韓国については正直擁護できるものが思いつきません。特に、根付いている食べ物に関する文化が本当に生理的に無理なので、もう韓国という国が不衛生で気持ちが悪いとしか思えないのです。

しかし、そんな朝鮮半島の国ですが、今は二つに分割されてしまっていますが、元々は一つの統一された国だった時期もあるわけです。そんな朝鮮半島の歴史については、日本人はあまり知ろうとせず、現状だけを批判していることもよくあります。

それはあまり良くないことだと思い、改めて朝鮮半島の歴史を、少し勉強してみたのですが、それはあまりにも悲惨で過酷な歴史でした。日本と違い大陸と陸続きであったがために、多くの大国の政治に巻き込まれ、力で抑えつけられ、翻弄され続けた土地、朝鮮半島について、今回は掘り下げて確認していってみます。


今回取り上げるのは、朝鮮半島の歴史の中でも、統一が成された「高麗」以降とします。

「朝鮮」という言葉自体が隷属の象徴


冒頭に念のため書いておきますが、「朝鮮」という言葉自体が、属国である事を示している言葉でもあります。「鮮」の字は奴隷的に使える意味を持ち、「朝」はその宗主国である中国を指しています。つまり朝鮮半島という地名自体が、中国に使える地方という名称であると言えます。

高麗 - 最初の統一王朝で「元」の属国


高麗が建国されたのは918年で、この高麗建国以前は、三国時代とも言われていて、百済、高句麗、新羅などの国が群雄割拠な時代でした。

この高麗が建国された時期は、918年なので、日本では平安時代ということになります。

それまでの間は、朝鮮半島内で群雄割拠な時代だったわけです。少し想像が難しいところではありますが、広い地域で戦乱が続き、大変な時代であったことは容易に想像できます。そんな中で、歴史上はじめて朝鮮半島を統一した高麗という国家が、どれだけ偉大だったのかと感じます。

この「高麗(こうらい)」という国は、現在の「Korea (コリア)」の語源となっていることでも知られています。

この高麗は、非常に長く続いていて、実に400年もの間王朝を存続させることに成功しています。江戸時代が200年程度なので、この400年という長さには驚かされます。しかし、この間ずっと平和という訳にはいきませんでした。

モンゴルの躍進に巻き込まれ


モンゴルのチンギス・ハーンが率いる騎馬軍勢が、アジア~ヨーロッパ方面にかけて非常に広大な版図を築いたことは、世界史の中で非常に大きな出来事です。日本も元寇という形で、鎌倉時代にモンゴル(元)のフビライ・ハーンに責められている歴史があります。


日本は台風などの奇跡で退けることに成功していますが、大陸続きだった朝鮮半島はそういう訳にはいかず、ただ蹂躙されるのみとなり、高麗は元の「属国」となることとなります。一説によると、元の属国となった高麗の進言により、日本への侵攻「元寇」が決定したともされています。

高麗 - 明による元討伐後は「明」の朝貢国


幸いな事に、モンゴルの強大な国家である「元」は、後に中国を治めることになる「明」に討伐され、高麗は元の支配から解放されることになります。

これは非常にめでたいことなのですが、支配から逃れたと思ったら、次の権力者にまた支配されるという繰り返しが起こります。


明との間には、主従の関係である「朝貢国」として、毎年多くの金品を納めることになります。せっかく朝鮮半島を統一した国家だったのにもかかわらず、中国からの「元」や「明」といった強大な圧力に対抗する術がなく、ただ従う事しかできない屈辱の歴史とみることができます。

李氏朝鮮 - 親明派による政権交代で「明」の朝貢国のまま


高麗は、元に支配され、倭寇と言われる海賊にも悩まされ、疲弊した時代となっていましたが、そんなときに李成桂が軍団を掌握すると、目的地を変えて高麗を攻撃し、政権を乗っ取ってしまうという事件が起き、統一王朝だった高麗は李氏に乗っ取られる形となったため、この政権を日本では「李氏朝鮮」と呼びます。


この李氏による王朝「李氏朝鮮」は、現在までのところ朝鮮民族による最後の統一王朝とされています。

李成桂は、親明派だったこともあり、明との親密な関係を築き、高麗から続く朝貢国家として、長く明の庇護下にあることになります。しかし、今度は海の方から脅威がやってくることになります。

豊臣秀吉の朝鮮出兵 - 国内は乱れ、救援した明は疲弊


李氏朝鮮を最初に襲う悲劇は、何と日本からの突然の侵略です。

日本では「豊臣秀吉の朝鮮出兵」として知られています。李氏朝鮮は日本が攻めてくるかもしれないという情報を掴んではいたらしいのですが、それを信じない意見や攻めてきても大したことないという楽観論などが席巻し、十分な対応策を講じなかったようです。


そのため、実際に日本が侵略してくると、あっという間に大混乱と敗退を続け、次々に占領されてしまいます。(文禄の役 : 1592 - 1593年)

しかし、宗主国である「明」は、子分の危機に駆け付け、日本と明の代理戦争の様な形となり、戦況は一時停滞しますが、和議は成らず、日本は二度目の侵略を開始します。その頃秀吉はこの世を去り、侵略は中止となって日本軍は引き上げることとなります。(慶長の役 : 1597 - 1598年)

この侵略防衛により、「明」は大量の出費がかさみ、後の滅亡への遠因になったとされています。

李氏朝鮮 - 明が倒れ清が誕生すると「清」の朝貢国


明が弱体化すると、満州地方の「女真族」が力をつけて、新しい国家を中国に打ち立てます。これが「清」です。

「清」は日本史でも世界史でも度々登場する巨大な国家として非常に有名ですが、中国の大多数を占める「漢民族」ではなく、満州地方の「女真族」と言われる別民族の国家であることが非常に興味深い点です。


明は清によって滅ぼされたわけではなく、李自成によって起こされた乱によって滅び、清はその逆賊である李自成を討伐する形で実権を掌握します。そのため、中国に人々からは、民族は違えど明の後継政権であると受け入れられたといいます。

朝鮮からすると、庇護してくれていた明がいなくなる形になりますが、清からは新たに朝貢国として金品と軍勢などを要求されます。それを拒んだ李氏朝鮮は、清に戦争を仕掛けられることとなります。(丙子の乱 : へいしのらん - 1637 - 1638年)

この戦争によって、清に対して正式に臣下の礼を取ることとなった上、莫大な賠償金まで支払わされるという最悪の結末を迎えることとなります。

大韓帝国 - 日本が支援 属国から独立国家へ (13年間)


強大な国家清の朝貢国というか事実上の属国のような形で存続していた李氏朝鮮ですが、世界は産業革命時代で、大航海~植民地政策の真っただ中です。日本もアメリカを始めとした欧米諸国からの軍事的圧力に屈し、多くの不平等条約を結ぶ羽目になり、明治維新が起こったころです。

李氏朝鮮にも、多くの外国人が来訪するようになり、経済的な結びつきなど、様々な交流が生まれますが、何かにつけて宗主国である清との関係が発展を阻害する状況にありました。

その関係を切り崩しにかかったのが大日本帝国です。

日本は朝鮮半島との経済的な関係性を構築するため、李氏朝鮮と交流をしていきますが、宗主国である清からは、日本が朝鮮半島の利権を脅かしていると捉えられ、とうとう戦争に発展してしまいます。(日清戦争 : 1894-1895年)


日清戦争は、日本と清の間の戦争ではありますが、朝鮮半島の利権を巡っての戦争である事は意外と知られていないかもしれません。戦争の名称に朝鮮が入っていない事にも原因があるとは思います。

この戦争によって、日本は清に勝利します。結果として、清は台湾や遼東半島などの領地割譲や多額の賠償金を日本に支払う条約を結ぶことになります。(下関条約) そして、その条約の中に、「朝鮮半島の独立」を認めさせる条項が含まれていたため、李氏朝鮮はここで清の圧力から解放されることとなり、「大韓帝国」の建国を宣言します。

朝鮮半島各地では、中国から解放されたことを祝い、様々な式典が催されたそうです。これ自体は喜ばしいことなのですが、朝鮮民族は自堕落で腐敗しきってしまっていたため、独立しての政治が困難な状況でした。これは両版という身分制度が問題だったと指摘する歴史家が多くいます。

両版(リャンバン)の無法と想像を絶する不衛生国家


李氏朝鮮時代も後半になると、科学技術が発達し、現在にも様々な文献や写真などが残されていて、当時の様子を大まかに知ることができます。それはもう恐ろしく不衛生でおぞましい世界です。


有名なのは、日本にも訪れたことのあるイングランドの旅行家「イザベラ・バード」氏の記録の「朝鮮紀行」でしょうか。この中には、糞尿まみれの下水が町中に流れ、異臭を漂わせている。その泥水の中で子供たちが遊んでいる。といった、想像を絶する情景が記録されています。分かりやすく解説してくださっている動画を一つ紹介しておきます。


上記写真からも分かる通り、当時の朝鮮には染料がなく、皆が白い衣服を身に着けていて、殆どの人が働いていなかったそうです。働いて財を成すと、両版にすべて略奪されて行ってしまうというのです。

日本人も朝鮮に訪問した記録を残していますが、あまりの異臭で夜眠れなかったとか、蠅が10000匹は飛んでいたなどといった、やはり不衛生だとする記録が多く見られます。このあたりの文化は、今も台所にトイレが併設されている家庭が多い韓国からも伺える気がします。

日露戦争後に完全に日本の庇護化へ - 日韓併合


南下政策を行い、とうとう日本へ三国干渉を行った結果、南満州と遼東半島を手に入れたロシアが、朝鮮半島を脅かし始めます。日本は戦争を回避しようと努力をしますが、ロシアの強硬な姿勢に止む無く戦争をすることとなってしまいます。日英同盟によって、イギリスの支援を受けることができたこともあり、辛くもロシアに勝利します。(日露戦争 : 1904 - 1905年)


これによって、朝鮮半島は日本によって守られた形となり、日露戦争以前から様々な条約によって日本と関係を深めていた大韓帝国は、日本と完全に一つになることを決め、ここに日韓併合が成されます。(1910年)

しかし、この日韓併合については、当初日本は消極的でした。特に世界各国を見聞した伊藤博文は、朝鮮民族の自堕落さを把握しており、欧米諸国との協調路線を説いていました。しかし、朝鮮半島で伊藤博文が暗殺されてしまうと、反対意見も薄まり、日本が韓国を経済的にだけでなく、支配地域として完全に吸収する形をとることになりました。

日韓併合後は、日本は自国の領土として大変な資金を投入し、朝鮮半島の開発を急速に進めたことが記録されています。しかし、朝鮮半島の中には日本の統治を受け入れられない勢力も一部存在していて、戦後彼らが建国神話として日本との交戦を引き合いに出したため、朝鮮半島では反日感情が非常に高い状況となっているようです。

ちなみに、日本は日露戦争後に、朝鮮半島の付け根の部分、南満州における鉄道の独占権を得ていて、以降朝鮮半島の開発と共に、南満州の開発にも着手していきます。これは後に中国で起こった辛亥革命以降の中華民国との軋轢を生むことになり、結果満州事変という軍事衝突にまで発展することになりますが、この日本の経済的な影響はかなり大きかったようで、それは別途記事にしています。


北朝鮮と韓国 - 第二次世界大戦後に代理戦争の場へ


第二次世界大戦が終結し、中国からも日本からも解放された朝鮮半島でしたが、新たな独立統一国家を築くことはできませんでした。

これは、ソ連とアメリカという超大国の代理戦争の場として、分割統治されることになったからです。北から進軍してきていたソ連に対して、アメリカが北緯38度線で南北に分割しての統治を持ち掛け、ソ連側がこの要求を受け入れたことに起因します。

しかし、この分割統治直後に、北朝鮮の金日成は、韓国を侵略して統一することを望み、戦争を開始してしまいます。(朝鮮戦争 : 1950 - 1953年) 当初北朝鮮は圧倒的に優勢で、韓国を南に押し下げますが、国連軍の介入により押し返されることとなり、滅亡寸前まで追い込まれます。そこで救援に駆け付けたのが、同じ共産党国家である中国で、アメリカ中心の国連軍を逆に押し返し、現在の38度線付近で休戦という形になっています。


この行ったり来たりの戦況であったことから、朝鮮戦争をアコーディオン戦争と表現することもあります。それほどまでに、戦線が大きく移動した珍しい戦いと言えるでしょう。

この戦争が休戦となった後は、北朝鮮は社会主義国として、南朝鮮(韓国)は民主主義国として、それぞれの歴史を刻み、現在に至る訳ですが、高麗の様な統一国家樹立への未来は、まだ闇の中です。

まとめ - 中国・日本そしてソ連・アメリカ - 


大国に翻弄され続け、独立や統一を許されず、常に強大な力で抑えつけられ続けた朝鮮半島の歴史は、本当に大陸の中での国家存続の難しさを如実に表しています。

そういう意味では、日本という国は、資源が乏しい海洋国家・島国ですが、国防上の観点からは、航空機が主体となる近代までは、非常に有利だったと考えられます。現在はその利点も薄れ、資源が少ないことが大きな問題の一つではありますが、国際的な協力関係を十分に活かして、世界規模・地球規模で共に同じ人類として発展・繁栄していく未来が築けるとよいと、願って止みません。


朝鮮半島の分割問題については、現在まで続く世界の関心事の一つでもあり、初めて南北の首脳会談を行った韓国の金大中(キムデジュン)大統領は、なんとノーベル平和賞を受賞しています。北朝鮮に対する献金疑惑など様々なうわさはありますが、金品で解決できる平和交渉ならば是非進めて欲しいとさえ思います。


北朝鮮は金政権を存続させることを譲る気配はなさそうですし、国際社会は民主主義/資本主義を広めようと必死で、北朝鮮の政治体制を認めるとも思えません。現在の社会モラルでは、南北統一は難しそうに感じます。高麗時代の様な、統一して独立した国家が朝鮮半島にも建国され、諸外国とも対等な関係を築ける未来が来ることを願っています。



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