2021年7月31日土曜日

本居宣長の古事記伝から水戸学の尊王攘夷へ | 日本近代化への思想変化

event_note7月 31, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

本居宣長 - 日本は何処へ向うのか


最近気になっている人がいるの…
え~!ダレダレ~!

本居宣長。

なんて言うと、「は?」となって、場が凍りつくことでしょう。

学校教育で、「本居宣長 = 古事記伝」と暗記分野の科目で機械的に覚えた記憶しかありませんが、この歳になって気になる人になるとは思ってもいませんでした。

今回は、日本の行く末を考える学問が、転じて尊王攘夷へと変化していき、それが日本を戦争に向かわせ、今の社会を作るに至っているという、思想変化に注目して歴史を紐解くことにします。


大きな流れとしては、国学~水戸学=尊王攘夷~復古神道となり、その復古神道は敗戦後にGHQで禁止されたところまでを振り返ります。



興味の源流 - 鎖国~近代化~敗戦まで


鎖国していた日本が第二次世界大戦までの長い戦争の歴史を歩む、この流れのルーツを探っていくと、ペリー来航に始まる欧米列強からの圧力が源流であることには直ぐにたどり着きます。

その後、尊王(天皇中心)・攘夷(外的圧力への対抗)という考え方から、大政奉還~明治維新、そして富国強兵政策と続いていくわけです。

しかし人間の、ましてや国中の人々の考えがそんなに一気に傾くものでしょうか。学校教育を受けていた時は、尊王攘夷という言葉は、暗記で覚えましたが、その実どういった物なのかを正確には理解していませんでした。

それもそのはずなのです。

GHQによって禁止された教育 - 古事記


戦前と戦後で学校教育で大きく変わったところがあることを知りました。

それは「古事記」を中心とした、日本のルーツに関する教育です。

GHQは、日本が一つになって戦争に向かった要因の一つとして、この古事記による正史があると判断し、この教育を禁止します。

そのため、我々が尊王攘夷という言葉は習っても、その言葉の根底にある古事記を中心とした日本のルーツなどについては学ぶことが許されず、表面だけの知識に留まっていたのです。


古事記 (日本の創生神話) 天皇の血筋


学校教育では天皇は日本国の「象徴」と習います。

政治的な実権を持たない人、というくらいの認識です。

ですが、戦前の日本人は歴代天皇を順番に暗唱できたらしいです。それくらい熱心に学校で習っていたのです。現代の九九のような感じなのでしょう。

古事記の解説の詳細はここではしませんが、中田さんの動画が非常に分かりやすかったので一つだけ張っておきます。


古事記によると、神が日本の国土を創生されたのち、日本に降り立ち、そしてその子孫が現在の天皇家であるとされています。

もちろん私自身は超常的なものを信じたりはしていない人なのですが、確かなのは、この古事記が作成された奈良時代ころから現代に至るまで、間違いなく日本の中心的な血筋を繋げて来られている一族であるということでしょうか。これは世界的に見てもかなり稀有なことらしいですね。

追い詰められた日本 - どこへ向かうか


外国からの圧力が厳しくなってきて、我々日本人はいったいどうするべきなのかと皆が悩んでいた時節、そんな時に本居宣長は日本にいたわけです。

元々は別にそういった思想家のような方ではなかったらしいですが、古事記という日本のルーツを研究していき、恐れ迷う日本の人々に、「我々はこうするべきなのではないか」という方向性を打ち出した人、という解釈をしました。

その過程で、古事記についての注釈をつけた書籍を作成し、それが我々現代人が学校で機械的に覚えた「古事記伝」という文書のようです。


44巻からなる、かなりの長編のようです。

この日本の行く末を研究する学問を「国学」と分類し、その当時はかなり受け入れられた様子ですが、今はその学問自体を耳にしない時代ですね。

個人的には、かなり共感すると言いますか、その思考回路にとても納得してしまったわけです。

哲学ではないですが、人は何故生まれてきて何処へ行くのか、のもう少しリアルな解釈ですよね。

欧米列強が日本を脅かし、滅亡の危機にある日本国、それらと渡り合うためには何をすべきか、分かりやすく示してくれたわけです。

国学~復古新道~対外膨張の思想


古事記を中心とした日本国の解釈が広まれば、その中では神である天皇家を敬う流れは必然、と容易に想像できます。そのため、尊王思想と日本国の維持のための攘夷思想が固まっていったという流れなわけです。

つまるところ、危機になって急速に広まった「宗教」なわけです。
これを学術的には「復古神道」というみたいです。
この宗教を基礎に、日本は一致団結していったわけです。

ですが、幕末になってくると、この思想は段々とその先を考えるようになって、発想が過激なものになっていきます。つまり、「迫りくる敵を倒した後」はどうするのかと考え始めたときに、「中国・朝鮮」に対して攻勢にでていくという理論が展開され始めるわけです。

かの有名な吉田松陰も、獄中から「国力を養ひて取り易き朝鮮、支那、満州を斬り従えん」と送ったとのことです。


弟子であった桂小五郎は、この教えを基に「征韓論」を唱えたとのことです。

つまり、この本居宣長をはじめとした国学の思想が原点となって、富国強兵~朝鮮半島への進出思想が生まれていったということになります。

水戸黄門による水戸学のはじまり「大日本史」


本居宣長などが研究を進めた「国学」ですが、さらに発展した思想の一つに「水戸学」というのがあることをご存じでしょうか。

この水戸学というのは、日本人なら聞いたことある人も多い有名人「水戸黄門」こと「徳川光圀」から始まった学問です。徳川光圀の著書に「大日本史」というものがあり、この編纂作業の過程から水戸学が始まりました。

水戸学は、儒学思想を根底に持ちながら、「国学」「史学」「神道」を折衷したようなものになっているのが特徴です。

「水戸学」から「尊王攘夷」へ


明治維新を起こす流れを作ったことで「吉田松陰」は非常に有名です。彼は、人の進むべき道を説き、多くの弟子を持っていました。その中から、明治維新から明治初期の政治の中心人物へなった人が多かったこともあり、非常にその思想が日本の近代化に影響を与えたとされています。
しかし、彼が説いていたのは「攘夷」つまり外敵の排除から始まり、「不平等条約」締結後は「倒幕」の思想が中心でした。つまり、日本国をダメな方向に進める政府(幕府)は不要だ、という考えです。

これに対し、水戸学では「国学」や「神道」から天皇陛下が日本国の中心であるといった考えがあり、さらに外敵の排除「攘夷」も必要だったため、新しく作られた学校(弘道館)の教育理念にて初めて「尊王攘夷」という言葉が生まれます。

結果、幕府を打倒した後に、これら思想が絡み合い、天皇陛下を中心とした国、近代的な政府、そして強大な軍を持った全く新しい国家へと急速に舵を切っていくことになるわけです。

まとめ - 日本の行く末 -


歴史を学んでいくと、直ぐに宗教的なものに出会います。
日本も例外ではないのです。

ただ、日本は上述の通り太平洋戦争の敗戦後、GHQによって日本のルーツである復古神道の教育が禁止されます。100年間くらいそれを信じて一致団結していた我々日本人が、その信仰を禁止されたわけです。

国学~復古神道の流れの間、仏教やキリスト教がなくなったわけではありませんが、それらは冠婚葬祭など儀礼的なものだけが残り、国民全体が復古神道一色になったのです。そこから復古神道を除外すれば、現代の日本の姿(無宗教と言われる)になるのです。冠婚葬祭は教会とかお寺で執り行うけど、超常的なものに対する信仰がない状態です。

会社で働いていた時、「停滞は衰退」とよく耳にしました。まさに今日本は衰退の一途をたどっている気がしてなりません。今後の日本の政治を含め、我々日本人はどこに向かうのでしょうか。

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