2021年7月26日月曜日

「イエス・キリストの生涯」という海外のドラマからキリスト教を学ぶ

event_note7月 26, 2021 editBy Fluffy Knowledge forumNo comments

イエスという人物の歴史的な分析


Amazon Primeで観たドラマ「イエス・キリストの生涯」についてです。
2021年10月時点でも視聴することが可能です。

イエスに関する映画としては、Passionというそれはもう怖いトラウマになるような映画を観た記憶がありますが、それ以外は意外と観ていないなぁと思い、あまり期待せずに観たところ、次々に興味を引くような展開で最後まで楽しく視聴しました。

ドラマは全8話となっていて、宗教ものではありますが、布教用のものというよりは、イエスという人物がどういう人物だったのかという歴史的な分析ものといった趣です。


歴史を理解するためには、宗教を理解しなければならないといった趣旨の解説があります。特に西洋の歴史には宗教が大きく関わってきますので、個人的にもイエスについて学ぶことは、非常に重要と考えました。

歴史学者等によるイエスという人物の分析


このドラマはちょっと変わった作りになっていて、キリスト教の信者向けではなく、キリスト教のことをあまり知らない人にもわかるように、解説とドラマが入れ替わりながら進行します。

聖書に記述されている様々な事柄について、当時の時代的な背景や、地理的な要因などを考慮して、それぞれ実際にはこのようなことだったであろうとか、これはこのような思想があったからであるといった解説を、現代の歴史学者等が様々な観点から行なってくれます。

典型的な日本人と自負している私が、興味深いと感じたいくつかの例を紹介してみます。

ヨセフ(マリアの旦那)の処女受胎への葛藤


第一話にて、マリアの処女受胎(受胎告知)から、それを婚約者であるヨセフへの報告をする場面からドラマが始まるわけですが、この時点で様々な解釈・解説が繰り広げられ、一気に引き込まれます。



焦点となるのは、マリアの不義を疑う人間的な反応をするヨセフでしょうか。

愛する人が、自分以外の子を孕んだ、と言ってきて、続けて彼女から「これは神様の子なの」といわれて信じることができるでしょうか。現代の感覚では、普通に考えると難しいでしょう。

この点について、そういった実に人間らしい分析に加え、その時の時代的な背景を交えながら、こういう流れだったはず、というのを解説とドラマで再現していきます。とても興味深いと思ったところです。

宗教で、「神様なんだから男女の営みがなくても子供ぐらい宿せるでしょう」と、なんか勝手に解釈してしまうところを、ちゃんと真面目に考えてファンタジーではなくしている感じです。(いやガブリエルはでてくるので、ちゃんと神秘的なものが含まれた宗教ではあるのですが)

正直なところ、個人的にはイエスの超常的なお話については眉唾というか信じられないと思っています。私自身は、科学的に証明が可能か、そうでないものは創作と思っている人間です。

宗教の教えという形での倫理観や生活習慣の改善


究極的な解釈ですが、私自身は宗教というものは「倫理観」であったり「生活習慣」をより良いものとするための「定義」という理解で、その強制力としての「超常的な力」と捉えています。

この処女懐胎や、イエスの奇跡などについては、正直あまり興味がないというか、科学的に考えられないものについては、世の科学者の専門家の方にお任せといった感じで、興味があるのは、「イエス」という人の「改革・改善」についてです。


永遠に勉強中ですが、現時点の私の理解としては、イエスは当時の「ユダヤ教」の問題点を追求し、その改善点を世の人々に説いた、というのが基本だと思っています。ユダヤ教の最大の問題点であった、「ユダヤ人だけが救われる」という考え方が、「神を信じていれば(例えユダヤ人でなくても)救われる」とした点からも、この問題を解消しようとしたことが伺えます。

サロメへの褒美としてのヨハネ(イエスの師)の死


これは個人的に知識の断片がちゃんと繋がったという意味で「よかった」と思ったところです。特に感動や驚きがあったわけではないです。宗教的な知識が増えたわけでもありません。

イエスを見出して洗礼を施したが、後に現代でいうところの扇動の罪のような形で逮捕されて、拘留されていたヨハネ。ヨハネを見出しで「師」としていますが、その表現が正しいかどうかは議論の余地があるでしょう。イエスに洗礼を施し、世の改善が必要であるとイエスが動くよりも前に行動していた「先輩」であることは間違いがありません。

ヨハネを拘束した上で、彼の話を聞こうとするその地域の長がいますが、その状況をよく思わない妻が画策し、娘のサロメを抱き込んでヨハネを殺害します。


踊りを誉められたサロメに、地域の長である父親が褒美を取らせるというと、サロメは拘留されているヨハネの首を所望します。衆人の前での約束だったため反故にできず、止む無くヨハネをその場で処刑し、首を盆に載せて運んでこさせるというシーンです。

19世紀に戯曲にもなったようで、このシーンだけは印象的で、「サロメと首」というイメージだけはありましたが、キリスト教の重要な役目だったヨハネ~イエスとの繋がりが分かりやすく描かれていたため、なるほどこういうことだったのかと理解しました。

イエスの兄弟とマリアの処女性 - 弟はマリアの実子か


イエスの兄弟についても分かりやすく解説があります。

イエスに兄弟がいるというのは、新約聖書を読んだときか何かにうっすら知ってはいましたが、兄弟の仲や、イエス死後の兄弟の活動などについては理解していませんでした。

そのあたりも分かりやすく解説と再現ドラマがあります。


イエスの活動に不満な弟達と、それを我慢させる母親マリアが印象的です。

実際には、イエスの死後に、弟たちは兄イエスの教えを広める伝道師として積極的に活動することになるようですが、このドラマではそこまでは描かれていません。

カトリックとプロテスタントにおけるマリアの扱い


この兄弟の下りで興味を惹かれたのは、マリアの処女性についてです。

イエスは神の子で、マリアは男性経験のないまま処女懐胎した訳ですが、その兄弟は普通に考えれば結婚したヨセフとの間の実子だと思います。実際、マリアを特別扱いしないプロテスタントではそういう解釈となっているようです。

ですが、カトリックや正教会では、マリアは永遠の処女であり聖女なので、兄弟はヨセフの先妻との子である(つまり連れ子)とのことです。

このあたりもとても興味深く面白いところかと思いました。

プロテスタントではマリアは普通の人であり、カトリックでは聖母マリア様なのです。


そもそもイエスが禁止していた偶像崇拝などを破って、金銭をあつめ、派手に広める活動をしていったカトリックが万人に受け入れられて広まっていき、粛々と教え通りに活動したプロテスタントは地味さゆえかそれほど広がらなかったという、なんとも皮肉な結果になっていっているのも興味深いところです。

まとめ - 歴史の勉強で宗教は必須知識 -


多くの人に信仰されているキリスト教ですら、歴史的な解釈の中で、一つ一つのことが、様々な捉えられ方をされ、色々な意見があることに、一層の知的探求心をくすぐられました。

「歴史を知るためには宗教を知る必要がある」

というのが、解説で語られるわけですが、特に中東・ヨーロッパにおいては、日本と違い、宗教と歴史は切っても切れない関係性にあり、それを理解することは本当に重要だと共感しました。

そもそも2021年現在でも、まだエルサレムをめぐっての紛争は、現在進行形であり、この紛争の理由も宗教および歴史を理解しなければ到底理解できないことです。また、それを平和的に解決する方策があるとしたら、きっとその過程の中にヒントがあると思うのです。


日本でも、キリスト教の経典である聖書を追求する「エホバの証人」という新興宗教は広く知られています。彼らの行動原理や問題点についても色々と調べてまとめた記事がありますので、そちらも興味のある方は是非見ていってください。

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