「懐かしい」の英訳で感じたこと
歴史を学ぶのが大好きですが、言語について学ぶことも楽しいことと感じます。特に興味深いと感じるのは、単純に単語表現を学ぶことではなく、言語の差異を感じた時でしょうか。中々伝えるのが難しいですが、こちらの言語には表現する言葉があるけど、あちらの言語にはそれを表す言葉がない、といった状況です。
これは、その言語が発達した過程において、そういったことを表現する必要がなかったり、代替する言葉で十分と考えられたと考えられ、歴史に通じる感覚があります。
そんな中で、今回は私の中でも結構衝撃があった「英語」のお話です。
上記動画では、今回紹介する「懐かしい」=[brings back memories]という表現がとても頻繁に出てきます。ものすごいヒットした曲で知っている人も多いかもしれませんが、以下動画の情報を記載しておきます。私も大好きでよく聞きます。
- アーティスト : Maroon5
- 動画公開日 : 2019/10/08
- 動画再生数 : 759M (7億5900万)回 2021/08/31時点
「懐かしい」という日本語表現
昔のテレビ番組の総集編とか、実家に帰って子供時代に遊んだおもちゃを見たときなど、日本人は頻繁に「あぁ、これ懐かしい!」というような表現をしますよね。
普段何気なく発するこの言葉ですが、言葉の中には「その時代が思い出されて、とても寂しいような、切ないような、それでいて温かみのある」感じが含まれていると感じます。
こんな一般的な言葉ですが、実は英語にはそれに該当する「単語」というのは存在しないようです。[Nostalgic]という単語があり、これはそのまま「懐かしい」と訳せますが、どちらかというと「追憶」とか、フォーマルな(格式ばった)言葉で、口語表現では上記のような状況では中々見かけないようです。私も聞いたことがないように思います。
[bring back memories] = 思い出させる
英語で「懐かしい!」という場合には、[bring(s) back memories]と表現するのが一般的です。単語ではなく英熟語となっているのが面白いですね。
日本語で「このおもちゃ、懐かし~!」という感じだと、[This toy brings back memories.]という感じです。
この違和感!
私が日本人だからでしょうか。英語のbrings back memoriesというのは、そのまま「記憶を連れ戻ってくる」という意味合いの言葉であって、冒頭で述べたような「暖かさ」や「切なさ」といった物が全く感じられないのです。少なくとも文章の上では機械的に事象を表しているだけです。
日本人でよかったと思うことが多々ある昨今ですが、このような言語の違いだけでも、日本人・日本語の奥深さを感じることがあるとは思ってもみなかったので、この英語を学んだ時には大きなカルチャーショックを受けたことを覚えています。日本語は本当に美しい言語だと感じました。
もちろん英語での「懐かしい」は他にも色々と表現がありますので、英語の語学に興味がある人はそういった情報を学習するのもいいかもしれませんが、ここでは紹介いたしません。私の言語への興味は、口語的に利用されている「よく耳にするもの」を習得したい、「海外の報道やコンテンツなどを理解したい」程度の意欲であって、言語を完全に習得したいというものでもないからです。
言語の多様性に驚きを隠せない
そもそも言語って、不思議だなぁと思います。世界各国に色々な言葉や文字が生まれ、現在まで形を変えながら使われ続けています。
世界中に散らばった人類が、違う場所で違う表現方法をそれぞれ確立していったという事実、それが統一されることがなく個別の発展を遂げている点など、歴史的にみても本当に興味深いことです。
また口語表現だけでなく、文字についても様々な種類が存在しています。類似したものも多くありますが、一体どのくらいの種類があるのか、またそれら文字の表現の幅「文字種類」についてはどのくらいの差異があるのか、ちょっと興味があって調べてみました。
直ぐによい動画が見つかります。ホント凄まじい情報社会です。
上記動画はまさに言語ごとの文字の種類数を、少ないものから順番に紹介してくれる構成となっています。
数が少ないものが高等なのか、それとも表現の幅が広い多い方が高等なのか、ちょっと専門的・学術的なところは分かりませんが、この多様性について唯々驚きました。こんなにも人間社会には文字・言語があったのかと。
まとめ
普段、歴史とか宗教とか色々調べるのが好きで情報を収集していて、様々な人種だったり宗教の差や、過去の歴史に影響されて、同じ人間同士でも分かり合えないことだったり、許しあえないことなどがあると思い知らされる毎日です。
ですが、この言語の差異によってもそういったことが引き起こされている、または引き起こされるのだろうなと感じました。現代は通訳の人がいて、この作業を手伝ってくれるわけですが、今回紹介した事例のように、「そもそも言語内にそれに該当するものがない」ことさえあるわけで、その場合は代替の言葉で表現するしかない、ということを理解しておかなければならないでしょう。「異なる言語の人には例え通訳でも細かいニュアンスは伝われないこともある」と予め理解しておく必要がありそうです。
そう考えると、先人たちはこの言語の壁を乗り越えて様々な国際的な交渉を行って、文化や経済の協力を行ってきているわけで、まさに偉業としか思えません。日本が中国と交流した歴史など、遣隋使の時代とかホントどうやって意思疎通したんだと、いや、そもそも意思疎通を何とかしてでも中国の素晴らしい文化を吸収しようと思えたということ自体が、先人に感謝すべきところなのかもしれません。
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