加害の歴史を学ぶことの重要性
最近も色々と歴史を学ぶわけですが、特に気付かされたのが、我々が戦争の恐ろしさを学ぶ際に、広島・長崎の原子爆弾被害や、東京大空襲、沖縄戦など、日本が戦時中に受けた大変な状況・被害についてから学び、その悲惨さから「戦争は絶対にしてはいけない」と学ぶことが多いことです。
日本国内は被害の歴史のみ
冒頭で述べたような戦争史の学び方については、身近なところにそういった被害の痕跡や被害者の方からの体験談など、比較的容易に学ぶことができることが大きな要因だと考えられます。
しかし、この学び方で得られる知識は公平なものでしょうか。
日本国内にある史跡などは、ほぼ全てが「被害の歴史」です。これは大変危険だと感じるようになりました。
戦争というものは、必ず「加害」と「被害」がセットになっており、どちらかだけということはないのです。どの国も、加害者であるとともに、被害者でもあるのです。日本の教育などでは、加害者の側面についての情報が正しく教えられていないと感じるのです。
私自身も、幼少時代からそういった教育を受けてきていて、ひどいでしょ、怖いでしょ、絶対に繰り返してはいけないことだよ、と教えられてきました。ですが、最近の外交上のすれ違いなどから、「正しい歴史認識を持っていないのは日本国民なのでは」と疑問を感じるようになったわけです。
加害の歴史から正しい歴史観を学ぶ
日本国内にいると、加害の歴史を学ぶのは非常に難しいと言わざるを得ません。これは、日本が島国であって、加害の歴史が残っている場所には、必ず海を越えて移動する必要があるからです。
現在は、航空機を含め、移動手段も増え、比較的容易に現地にいくことは可能になってはいますが、国内や陸続きの場所に比べ、お金も必要になりますし、そこまでして学ぼうという高い志を持つのは容易ではないでしょう。
しかし、幸いなことに、現在はインターネットも普及し、様々な歴史的な記録を、実際に現地にいくことなく知ることができたり、現地では見ることのできない、貴重な映像記録などを劣化なしに見ることさえできてしまいます。さらに、技術が進歩したことによって、当時は白黒だった映像をカラーで見ることができるようになったりと、学ぶ環境としてはかなり良いものになっています。
南京大虐殺について
日本は認めていない加害の歴史として代表的なのが「南京大虐殺」でしょう。第二次世界大戦の最中「日中戦争」の中で行われた、南京攻略・市街戦における一般市民を巻き込んだ無差別な虐殺があったとするものです。
この件については、証言だけで確固たる証拠がなく、日本としては認めるわけにはいかない、というのが日本国側の主張のようです。詳しく調べてはいませんが、ここまで強硬に否定するということは、虐殺にあたるような証拠はでていないのでしょう。正確には、否定はしないけど、人数とか認識に齟齬があるといった感じでしょうか。
ですが、この件について国際的な認識は異なります。
この「国際認識」がどうであるかということを、正しく理解しておかなければならないでしょう。海外の人が日本をみたとき、ドイツはホロコーストでユダヤ人を虐殺し、日本は南京で一般市民を無差別に虐殺した、という認識を持っているということです。
その際、「日本人はその事実を認めようとしない」という事象は、彼らの目にどのように映るのでしょうか。
私もタイムトラベルができるわけではないので、事実は知る由もありません。日本が主張していることが正しいのかもしれません。逆に、中国が主張しているように、現実として起きた事件なのかもしれません。確たる証拠がないため、日本が認め、謝罪することが難しい事情も分かります。やっていないことに対してまで謝罪できるものでもありません。
ただ、この件について声を大にして伝えたいことはただ一つです。
「認めていないのは日本だけ」
国連機関であるUNESCO(ユネスコ : 国際連合教育科学文化機関)も本件を認めており、世界的には「事実」という扱いになっています。(参考)
この南京大虐殺については、中国の南京に博物館兼追悼施設として「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」という施設が建てられています。中には、当時の遺留品や写真、新聞など様々な展示がされているようで、撮影が可能な部分などはYoutubeなどでもある程度みることができます。(動画公開いただいている方に感謝です)
個人によって、様々な考えの方がいらっしゃるかと思いますが、海外の方とお話しする際には、相手の認識は上述のような世界的な認識にあると思って、注意深く進められるのがよいでしょう。
加害の歴史と被害の歴史の両方を学ぶ
日本人であると、自然と被害の歴史を学んでいることが多いですが、加害の歴史と合わせて被害の歴史を学ぶことが最も重要でしょう。どちらに偏ってもよくないのです。
不思議なことがあります。
日本人は、教育の面などで「自虐的」と揶揄されることがあります。戦争は悪いことで、日本が世界に大きな迷惑をかけた、というGHQ統治時代に行われた教育の変更に依るところが大きいのでしょう。
ですが、海外からの声では、「日本は謝罪しない国」と言われることもあります。これは政府の対応などもあるのでしょう。
これは、戦争に加害と被害の両方の側面があることを如実に表していて、現代にいきる我々はどちらも真摯に受け止めなければならないと感じます。
戦争に至る経緯を学ぶ
戦争の歴史を学ぶ上で、どのような経緯でその結果となったのかを学ぶことも非常に重要です。
政治的な判断で、戦争に向かわざるを得なかった、その経緯も重要ですし、戦争が始まった後に、なぜその地域、施設を攻撃しなければならなかったのか、一つ一つの攻撃にも、それぞれ理由があるので、それを理解をすることも重要に思います。
特に、太平洋戦争については、上述の自虐論によって行うべきではなかったという意見をよく耳にします。逆に、欧米からの圧力で仕方がなかったのだという声もあります。
私自身の意見はあまり重要ではないのですが、個人的には後者寄りです。それをうまく表現しているなと思ったコメントか何か一般の人の言葉ですが、当時日本は石油の禁輸措置等に加え、「九州や四国などを放棄しろ」と言われたようなものなのだ、というものがあります。なるほど、それなら現代人にも感覚が伝わる、と妙に納得しました。そんな無茶苦茶な要求をされ、やむを得なかったと思っているわけです。
学ぶ上で重要な事は「事実を知る」
ですが、重要なのはどういうことがあったのか「その事実を知る」ことだと考えます。学校教育ではそこまで詳しいことを教えてくれない、または小中学校ではその教育は早すぎる、といった問題もあります。
大人になって、政治や国際情勢などが理解できるようになってはじめて、当時の日本がどのくらいの厳しく・理不尽な要求を受けていたのかが分かるというものです。
学校教育以降、日本では歴史に触れることが少なく、テレビをはじめとするメディアはどこか偏っている情報のこともよくあります。自身で情報を集め、かみ砕き、事実を知ったうえで自分の意見を持つ、ということが非常に重要なのだと思います。
まとめ
別に学校教育を避難しようとしているわけでもなく、南京大虐殺を認めさせようとしているわけでもありません。
ただ、歴史の事実としてはどういうものがあるのか、「まずは知りましょう」というのが一つと、日本人の認識と世界の認識は、必ずしも一致しておらず、「日本人の認識の方が世界のマイノリティ」であることも往々にしてあるということです。
自国に誇りがあるのはよいことですが、慢心せず、正しい歴史認識と、世界を見据えた広い視野を持って人生歩んでいきたいものです。
コメントを投稿