原子爆弾投下の是非について考える
2021年8月6日、広島では例年通り平和式典が行われました。
私もテレビでその様子を見ながら、様々なことを考えました。
現在の核兵器の状況(1万3000発)や、戦争への道に進んでいっているようにも見える世界情勢など、よく無いことばかり考えてしまい、不安に思い、何か自身にできることは無いだろうかと、改めて思いました。
ですが、今回の記事は、太平洋戦争やその他の歴史について色々調べていった中で、原子爆弾投下についての私自身の考えを書いておこうと思い、執筆しています。
原子爆弾の投下が必要だったか
この議論は世界中でも行われ、特にアメリカ国民の半分以上が「必要だった」という見解を出していると、どこかの記事か何かでみた覚えがあります。
日本国民として、また唯一の被爆国として、いかなる理由があったとしても原子爆弾の投下を肯定することはできない、というのが日本の一般的な見解かと思います。
私自身は、広島に生まれ、広島で育ち、小学校から行われる平和教育の授業や、様々なところで学ぶ核兵器の怖さ、戦争の悲惨さなどから、一般的な日本人と同じような考えを持って育ってきました。
しかし、ここ最近は、どちらかというとアメリカの国民が抱くような「必要だった」という考えも理解できるようになってきました。
歴史を多角的に理解することが重要
色々な歴史を学んで行くことで、新しい視点だったり、様々な考えを得ることができます。
学校教育などから学ぶのは、日本がいかに悪いことをして、その結果として原子爆弾を落とされた、という被害的な歴史観でした。子供だったこともあり、疑うことなくその教育を受け入れていました。また、多くの日本人はそのように考えていることでしょう。
しかし、この教育は、戦後GHQによって変えられた教育に基づいたもので、事実である部分と、そうで無い部分が含まれており、そのまま受け止めるのは危険と言えるでしょう。現代の情報社会における、「正しい情報を見極める」ことが重要なのと同じです。
なぜ日本は太平洋戦争を開始したのか、太平洋戦争の末期、日本はどういう状況だったのか、ポツダム宣言の受諾を決定するとなったとき、日本の中枢はどうなったのか、といった様々な部分をしっかり理解する必要があるでしょう。
原子爆弾投下時点の日本の動き
原子爆弾が投下されたのは、1945年(昭和20年)の8月6日です。
世界で初めての原子爆弾が、広島に投下されました。
この少し前、1945年の6月には沖縄での戦闘も終了し、いよいよ本土への本格的な侵攻が開始されてくるという局面になっています。
ポツダム宣言は1945年7月 - 原爆投下の10日以上前
まずこの事実を日本人の多くは理解していないように思います。
私も知りませんでした。学校ではポツダム宣言の受諾〜玉音放送の結果が8月15日で、その日を終戦記念日とする、といったことを何度も教えられたように思います。
しかし、実際にはポツダム宣言(日本の無条件降伏)は原爆投下よりも前(7月26日)に届いており、受け取った日本政府は「黙殺」すると決定しています。これは、日本国の国体護持に関する保障がなかったりといった、降伏後の日本に対する危惧などから、当時の政府、ほぼ全員一致だったようです。
つまり、どういうことかというと、敗色濃厚な状況ではあったけれども、「戦争継続」を選んだわけです。
この事実を無視して、「ほぼ戦争は負けが確定していたのに原子爆弾を投下する必要はなかった」という意見を目にしますが、それは間違っていると言わざるを得ません。連合国側から見ても負けが確定していると判断されて、降伏を勧告してくれているのです。それを拒否して「まだ戦う」という意思でいれば、いかなる攻撃を受けてもそれは自己責任としか言えないのでは無いでしょうか。
広島原爆投下後〜それでも迷う政府
広島に原爆が投下された後、それでも日本政府は決断をできずに戦争継続かポツダム宣言受諾かを争い続けます。
結果として、ソ連の参入〜長崎への2発目の原子爆弾投下となり、ここにきてようやく「一刻も早く受諾へ」という流れが起き始めます。
しかし、こんな状況になっても意見は戦争継続とポツダム宣言の受諾に割れ、結論が出ないため、昭和天皇の御聖断をいただき、終戦を決意することになります。
ポツダム宣言受諾決定〜クーデター未遂
そして日本国民のほとんどが知らないのでは無いかと思うクーデター未遂「宮城事件」が起きます。これは、原子爆弾を2発投下され甚大な被害が出ているにもかかわらず、それでも戦争を継続しようとした一部の陸軍が起こしたクーデター未遂事件で、なんとか戦争を継続するため、玉音放送をさせまいとして、録音データを求めて日本の中心で起こった実際の事件です。
そもそも日本の教育では近現代史をほとんど詳しく習いませんが、特に太平洋戦争・第二次世界大戦については、終戦、ポツダム宣言の受諾くらいしか習わないように思います。負けた事実だけが教えられ、その経緯や当時の状況については習わないわけです。
このクーデター未遂によって、数名の犠牲者が出てしまいますが、幸いなことに玉音版は無事で、直ぐに鎮圧されたため、予定通り8月15日の正午に玉音放送が行われた形になりました。
歴史にifはないけれど
「もしも」という仮定の話は、歴史を学ぶ上ではなんの意味もないのですが、原子爆弾が投下されていなかった場合、日本政府は間違いなくポツダム宣言の受諾を前向きに検討できなかったでしょう。さらに多くの犠牲を出し続け、ほとんどの日本国土は占領され、現在の朝鮮半島のように、アメリカ・ソ連によって分断されて日本国はなくなっていた未来までありえます。
日本は、本土決戦に向けて太平洋側の沿岸に特攻用の魚雷である「回天」を配備し、陸から発進してできる限りの迫り来る船舶を迎撃しようと準備も進めていました。陸軍は国民全員の命を使って戦争を継続し、最終的には勝利するのだという信念(盲信)のもと行動をしていたのです。
まとめ
今回の記事では、私の個人的な考えを書いているだけではありますが、それでも伝えたいと思っているのは、「歴史を多角的に理解しましょう」ということでしょうか。
原子爆弾という大量殺人兵器を肯定することはできませんが、そんな状況にあって、双方の犠牲を最小限に留めるために、止む無く投下を決断したという経緯を公平に理解すべきと考えるわけです。
「宮城事件」については、「日本のいちばん長い日」という、分かりやすい邦画があります。戦争映画ではありますが、激しい銃撃や爆撃などではなく、ポツダム宣言を突きつけられた後の日本の中心が、どのように揺れ動いたのかが描かれており、学校で習わない様々なことを知ることができます。
ただ、ある程度の知識がある大人が見ないと、結構難しい内容となっていて、子供は少し理解ができないかもしれません。(登場人物もかなり多くなっています)
日本人は、歴史をあまり顧みず、にも関わらず偏った意見を述べる人が多いような印象です。まぁ半分以上は教育のせいだと思ってはいるのですが、メディアももう少しこういったところを補うようなものが増えていけばいいのになと思いながら、私も可能な限りそういった不足した部分を補うものが残せればと思い、本記事の執筆に至った次第です。
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