2021年11月1日月曜日

固定観念に捉われる危険性 | 多角的視野を持とう

一方的な思考に捉われると本質を見失う


物事について考えるとき、自分の中では様々なことを検討し、最善を尽くしているつもりなのに、実は知らない間に固定的な考え方になってしまうことはよくあります。

また、一般的な常識として広まっている考え方「固定観念」に捉われてしまうと、物事の本質を見失ってしまうこともあるかもしれません。常識という言葉は非常に危うい言葉でもあって、「現在の社会」における倫理観などで正しいとされているものが「常識」として広まっていますが、社会というものは変革するもので、過去に常識だったものが現在常識ではなくなっているものもあるのです。


そういった、「固定観念」に私も捉われてしまっていたようで、麻生太郎氏の発言によって目から鱗が落ちるような思いをしたので、今回は物事の考え方における、発想の転換の重要性について考えてみることにします。


信念が強い程視野も狭くなる


私のように、根っからの理系人間は特にそうなのかもしれませんが、自分の中の知識や正義感の様なものに支えられた、明確な信念のような「考え方」がある人がいます。

そういった人は、その信念に基づいて非常に力強い発言を繰り出し、多くの人を巻き込んだムーブメントを興したり、大きな影響力をもつ一種のカリスマの様な存在になることもあります。

しかし、そういう信念の強い人は、時に「一方的な決めつけ」のような見解を述べることもあるでしょう。これは言動に揺れがなく、人の信頼を集めることかもしれませんが、物事の本質を正しく理解しようとする際には邪魔となってしまう考え方でもあるでしょう。信念が強すぎて、視野が非常に狭くなっている状況と言えます。


もちろん信念に基づき、その考え方を深化することで、物事を解決へ導くこともあるでしょうが、ただ一つの方向から物事を捉えるのではなく、多角的に物事を捉えて考えることで、新しい解決方法が思いつくこともあるのです。

どちらが正しいという話ではなく、多角的な見解も時には必要で、それらを理解した上で自分の信念に基づいた理論を展開することは、非常に重要だということです。

問題を打破するためには突飛な発想も必要


非常に困難な問題を抱え、何度も解決を試みるけど上手くいかない、そういうことも生きていればあるでしょう。

そういう際には、一歩引いて俯瞰で考え、「本来何を目的としているのか」といった根本から考えることで、固執していた局所的な問題ではなく、本質を達成するための別の解決方法に辿り着ける場合もあります。

特にIT関連の仕事などでは、ソフトウェアの設計など物理的な制約がないものの中では、そういった切り口による解決方法は対応が容易でもあり、開発現場などではそういう発想が可能な人は非常に重宝され、多くの場合は高い立場で仕事をしていることでしょう。

小さな問題にこだわり続け、無駄に時間を浪費するのではなく、時間はかかるかもしれないけれど、大きな切り口で方向転換することで、その問題を回避して目的を達成するという進め方で、「問題の解決から回避」へ転換しているとも言えます。


古い歴史の例でいうと、スエズ運河などはまさに発想の転換の典型なのではないでしょうか。当時のヨーロッパの船は、アフリカを回ってアジア方面への航海を行っていました。その時間を短縮するためには船の速度を速めたり、自然の風を利用するなど、船の推進力を高める発想が普通です。陸を削って船を通せるようにする運河は、船の発想から一歩引いて、「目的地に早く辿り着く」という本来の目的を中心に据え、「航路」に着目して解決しているのです。やってみれば「そりゃ当然そうだよね」と思われてしまうような事かもしれませんが、この発想を思いつけることが重要なのです。

麻生太郎の「温暖化肯定発言」は批判も多いが目鱗


私は地球温暖化について非常に興味を持っている人間の一人です。

産業革命以降の人間の活動によって、急速に増え始めた地球の温室効果ガスの排出量と、それに伴う地球温暖化、そして予測不能な気候変動は、私たちの生活を確実に危険に追い込んでいると肌で感じていて、今も来年の夏にはまた大雨が降って最寄りの河川が氾濫するのではないかと不安に思っています。それほど危機感を感じています。

そんな中で、2021年10月に行われた衆議院議員総選挙の選挙活動の中で、麻生太郎氏が北海道の街頭演説で温暖化を肯定する様な発言をしたことがニュースに取り上げられていました。


麻生氏は、「温暖化によって北海道のコメがうまくなった」という趣旨の発言をしていて、これは農業関係者の品種改良などの努力を無視した発言として、多くの批判が寄せられています。

確かにこの批判は当然だと思いますし、私自身も配慮に欠けた言葉だとは思います。

ただ、この発言を聞いた直後はそう思いませんでした。「なるほど、そういう考え方もあるか」と、脳天に電撃が走ったような感覚を覚えました。本当に麻生太郎という人は面白い発想をする人だとも思いました。

地球温暖化について、原因や現在の状況などを把握するため、多くの資料や情報を集めるのですが、私もそういった活動の中で「地球温暖化は悪」という固定観念に捉われてしまっていたようです。

人間というのは、何か変化が起こった際には、「元の状態に戻ろうとする」発想や力が働く生き物らしく、この地球温暖化についても、温暖化前の状態に戻す or 現状を維持するという方針で世界が取り組みを進めています。

しかし、この温暖化を地球環境の変化と捉えると、違う発想や対応が思いつけるのかもしれません。

温暖化を変化と捉えると前向きになれるかも


日本の環境問題の代表というと小泉進次郎元環境大臣の事を思い出してしまいます。

彼の行動や発言には私も何度も失望させられたのですが、麻生太郎氏の発言以降、少し彼の発言を思い出しました。

正確には覚えていませんが、「環境問題への取り組みは楽しくクールに、そしてセクシーに進めることが重要」といったような内容だったかと思います。

当時この発言を聞いたときは、私も温暖化前に戻す又は現状維持を念頭に考えていて、「何を言っているんだ」と思っただけでした。

ただ、麻生氏の発言を聞いた後で思い出すと、「変化と前向きに捉えて新しい生活を構築」していくのだと考えると、地球環境問題への取り組み方もまた違ったものに、それこそクールでセクシーに進めることもできるのではないかと思ったのです。小泉進次郎氏については、レジ袋有料化の話題で一度過去に取り上げてもいて、上記演説についても含まれていますので、興味がある方は是非ご覧ください。


もちろん、切羽詰まった状況にある問題もあり、全てがそうだとは思いませんが、こういった発想の転換をすることで、ある程度地球環境問題への取り組み方を柔軟にできる部分や、私たちの生活の変化に対する考え方を前向きにすることができるようにも思うのです。

まとめ - 麻生太郎という人に敬意と感謝 -


それにしても、麻生太郎氏は本当に面白い・興味深い人だと改めて思いました。

首相になって日本を率いることに向いているかは別として、このように聡明でありながら、人とは異なった見解を打ち出せる人はなかなか出会えません。陰ながら活躍を応援しています。

麻生太郎氏は過去にも私の固定観念を打ち崩してくれています。その時は「政治への関心」についてでした。当時私は日本の政治への関心が低い事と、ドイツでは「仲間とのパーティーでも政治議論をする」という政治への関心が高いことにショックを受け、日本人もタブーとか言ってないでもっと政治議論するべきだと考えるようになっていました。


しかし、麻生太郎氏は「政治への関心がない事は、それだけ幸せだという事」と言い切り、確かにそうだと考えさせられるに至ったわけです。本当に様々な刺激を与えてくれる麻生太郎氏には感謝しています。


こういうことを繰り返していくことで、自分自身の考え方も一層多角的で柔軟なものに成長し、さらにその上で正しいと思える「信念」があれば、自分の人生に迷わず邁進できるというものでしょう。



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