2021年11月7日日曜日

常識や倫理観は成長するもの | フェミニストや思想の変化について

その常識も正しいとは限らない


人は様々なことを自分の知っていることや、世間の常識に当てはめて考えます。

一般的な常識から外れていることを嫌い、できるだけ世の中の大勢が正しいとすることに合わせて行動をしようとします。それは最も周辺と協調することができ、皆が幸せに感じる行動でしょう。


しかし、その皆が正しいと疑わずに行う行動は、現在の世の中では正しいとされながらも、将来的にも絶対的に正しいとは限りません。むしろ、現在の人々のレベルが低く、間違いであることに気づけていない可能性は大いにあるのです。

今回はそんな常識や倫理観について考えてみます。


男尊女卑の固定観念を打ち崩す - フェミニスト思想の根源


最初にフェミニストについて考えてみます。

フェミニストは男女の姓による格差を是正し、真の平等を目指す思想や活動をする人たちの事です。

日本を含め、世界的にも男尊女卑という思想が古くからあり、男性は女性よりも社会的に優位な立場である事が歴史上非常に長く続いていました。日本でも、女性が政治に参加する参政権を得たのは戦後の1945年以降で、つい最近と言えるでしょう。しかし、この男性優位の社会というのは、日本だけでなくお隣韓国などでも顕著で、女性は家に軟禁されるような生活をするのが常識だったりと、日本以上に女性が社会へ関わることが難しい世の中だったようです。


そういった風習などから、現在常識的に行っている様々な事柄の中に、自然と男性が優位になるような制度や習慣があったりするのですが、私たちはそれに気づかず、「常識」として従ってしまっていることがあるのです。

フェミニストの根本思想は、そういった男女の性別による格差があることを明るみにし、それらを改善していくことで、最終的には男性と女性が本当の意味での平等となる社会を目指しているのです。

常識であるがゆえに気づくのが難しく、自然と差別的な行動を取ってしまっていることは恐怖でもあり、この思想自体は大変すばらしいことだと思います。

フェミニストとミサンドリーの違い


フェミニストとよく勘違いされる思想に、ミサンドリーという「男性嫌悪」の思想があります。

男性優位を是正しようというフェミニストの活動は、男性を引き下げ、女性を引き上げる行動でもあると言えます。

ミサンドリーは、同じように男性を貶め、女性を優位に立たせようとするため、言動は類似してはいますが、その根本思想は男性への嫌悪感であり、まったく異なる性質のものであることに注意しなければなりません。

女性が何か物事について「女性差別だ」と指摘をしたとしても、真意を見定めることなく従うのではなく、それが本当に差別的なものなのか、ただの個人的な男性嫌悪感情なのか、正しく見極めなくてはなりません。


現在の日本の社会における「ツイフェミ」といわれるSNSのツイッター上で暴れる自称フェミニストの方々の多くは、このミサンドリー思想に該当するものであると見受けられます。上記画像が女性らしくないと発言しているミサンドリーの方こそ、非常に差別的な偏見を持っている方だと、個人的には思うのです。

戦争に発展した「生麦事件」という外国人殺傷事件


今度は少し毛色を変えて、歴史に目を向けてみることにします。

江戸時代末期の1862年に、日本の神奈川県生麦村で起きた事件で、地名から「生麦事件」と呼ばれます。

この事件では、生麦村を通行中だった薩摩藩の大名行列に、当時日本へ観光に来ていたイギリス人が遭遇し、言葉が通じないため行列に入っていってしまい、警護の者に切り殺されるという事件です。

この事件は、当然国際問題となり、イギリスと日本の間で様々な話し合いや交渉が行われた末、イギリスを中心とした諸外国からの軍事的な圧力まで掛けられ、日本政府である江戸幕府は多額の賠償金を支払います。さらにそのままイギリス艦隊は薩摩藩へ押し寄せ、薩英戦争という薩摩藩とイギリスの間での軍事衝突に発展します。


この歴史の流れは、現代では色々と想像が難しいところではありますが、当時の薩摩藩の言い分としては「イギリス人が悪く、薩摩に落ち度はない」と徹底した主張でした。

つまり、大名行列に近寄ったものは切り捨てても問題ない、それが当時の常識だったのです。しかし、被害にあわれたイギリス人の方々は、日本の文化に詳しくなかったようで、まさかいきなり刀で切りつけられるとは思ってもいなかったでしょう。いかに当時の日本が野蛮だったのかが分かります。

しかし、この事件については、結局日本政府は賠償金を支払い、薩摩はイギリスと戦争まですることになりましたが、アメリカを始め、各国の報道では「イギリス人が配慮に欠けている」というニュースになっていたようです。

郷に入っては郷に従え、ということなのでしょう。


現在でも重要な人物の護送中などに、不用意に近づけば、同じような防衛措置によって何らかの危害を加えられる可能性もあるでしょう。それがいきなりの殺害になるのか、取り押さえになるのかの違いはあるでしょう。その後の政治交渉についても、軍艦を引き連れての威圧的な交渉や、有無を言わさない船舶の拿捕などの強硬手段も行われるとは思えません。

これは、科学の進歩によって軍事的抑止力があるためとも言えますが、人々の考え方がより高度に成長したとみることもできます。

帝国主義や植民地政策についての世論変化


最後に同じく歴史関係ではありますが、第二次世界大戦を境に、世界の帝国主義や植民地政策というそれまでの常識が捨て去られることになったことに言及しておきましょう。

ヨーロッパの大航海時代から産業革命を経て、イギリスを中心として世界中の多くの地域はヨーロッパやアメリカによって植民地化されるという、今から考えると地獄のような恐ろしい世界観ではありますが、これは紛れもなく人類の歩んだ軌跡です。


第二次世界大戦では、ヨーロッパ諸国は大変な被害を受け、それまで世界を席巻していたその権威は失墜し、代わりにアメリカとソ連が台頭する流れになりますが、その影響もあって、植民地支配に対する世論も変化し始めます。

特に、日本が解放していったアジア諸国では独立の気運が高まり、ようやく戦争が終わったというのに、再度の植民地支配のためヨーロッパ諸国はそこでも対立や紛争を行うこととなってしまいます。


決定的なのがイギリスのインド支配で、有名なガンジーの無抵抗不服従でしょう。

どれだけ圧力をかけられ虐げられたとしても、絶対に服従せず、暴力ではやり返さないという不屈の姿勢は、メディアでも世界的に報道されることとなり、そのあまりにも惨たらしい光景に世論は「植民地支配など止めるべきだ」という流れに大きく傾きます。

それまで国を富ませるために、他の力の弱い国を抑えつけて搾取するのが常識だった世の中が、人々の目覚めによって改められたのです。

私たちの生きる現代は、こうした歴史を経ることによって、より良い考え方に辿り着いているとは思いますが、今も完成系なのではなく、発展途上なのです。

まとめ - 今後の考え方の発展を願って -


正しい考えを持とうとすることは良いことですが、今の考えが絶対に正しいと考えることは非常に危険な思想でしょう。

私たちの考える「常識」は、本当に間違っていないのか、もっとよい考え方がないのか、私たちは常に考えてより良い世の中を作り出していく必要があると思うのです。フェミニストの方々の主張は、まさにこういったより良い社会を作ろうという活動であり、本来は皆に受け入れられて良い流れになるはずなのですが、日本の活動は本当に残念な現状であると言わざるを得ません。

その他にも、地球温暖化に関しても、将来のことは考慮せず自分たちの幸福さえ確保できれば良いといった考え方にも、個人的には賛同できかねます。こういった様々な考え方が生まれるのが人間の面白いところではありますが、できるだけ多くの人が幸せになるような考え方や思想が常識として広まることを切に願います。

世界中の皆が家族のように手を取り合って進むことができるのが本当に理想であるはずで、世界には国境という境界線は本来ないはずなのです。日本の掲げた「八紘一宇」という考え方は、やはり世界平和を願った言葉としか思えない、と締めくくって今回の記事を終わりにしたいと思います。




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