2022年3月29日火曜日

平安時代と現代の共通点 - 政治と軍事力

力こそ正義ではない倫理観


私たちは、平安時代の後は鎌倉時代と学校教育で習います。鎌倉時代~江戸時代までが武家社会で、その後の明治維新から昭和の敗戦までは近代国家を目標として富国強兵を掲げ、目覚ましい発展を遂げたことは、日本人の多くが知っている歴史です。

平安時代は激しい戦闘行為が有名なわけでもなく、どことなく地味な印象もあるからか、歴史好きの人にもあまり人気のない時代かもしれませんが、個人的には歴史的にとても興味深いと思っています。


今回は平安時代と現代における、政治と軍事力の動きに着目しながら、興味深い平安時代を掘り下げていくことにします。


武力を持たない政府と支える軍事力


現代の日本社会は、政府という政治機関と自衛隊という軍事力で構成されています。この構成は、国家の運営にとって非常に理にかなっていると言えるでしょう。日本以外の国でも同じような体制をとっている国家は多く存在しています。

武家社会だった日本では、軍事力がそのまま政治活動も行っている形で、軍国主義の大日本帝国も形は違えど軍事力中心の国家といえるでしょう。

そういう意味では、平安時代は非常に国家の体制は現代と類似しています。

政治を執り行っていた朝廷は武力集団ではありません。必要な軍事力として武家を構成していたという形は、現代の政府と自衛隊の構造と非常に似ているのではないでしょうか。


多くの人が知っているように、この類似した政治構造の平安時代は源頼朝によって終止符を打たれ、その後の武家社会に突入することになります。私たちの現在も同じような危機や危険があるのではないかと、興味が惹かれます。

もう少し詳しく時代の出来事を掘り下げていってみます。

平治の乱と515事件で「力」に翻弄され始める


大日本帝国は軍国主義の国家ではありましたが、政府全体が軍事組織という訳ではなく、陸軍省といった部門があり、政治組織の中に軍事力担当がおかれているという形態でした。しかし、日本の政治の方向性に不満を持った一部の軍関係者によって行われた515事件によって、その構造が揺らぎ始めます。内閣総理大臣だった犬養毅は殺害され、その後は軍関係者が内閣総理大臣に就任し始めることになります。


一方平安時代にも経緯こそ違いますが、事件の後に類似した歴史を刻んでいます。

平安時代に起きた平治の乱(1159年)は、力を強めた平家と源氏の衝突で、平家の勝利に終わるという事件です。この事件の後、絶大な権力を得た平家は、現代の大臣に当たるような役職に次々と身内を就任させ、国家全体を平家に染めていきます。「平家にあらずんば人にあらず(平家でないものは人ではない)」という程に日本全体へ影響力が強まります。


この動きは非常に類似していて、「力を持たない政府」が「意思を持った力」に圧倒されるという「力こそ正義」という言葉で表現できる流れと言えるでしょう。

平家・軍部の専横と敗戦


軍部が力を持った日本政府は、力の限りを尽くして日本を守ろうとしますが、結果として敗戦となりました。結果論ですが、この第二次世界戦を境に、帝国主義といわれる植民地政策は世界的に止めるべきという流れになり、現代のような社会構造に変革していくことになりました。大日本帝国は解体され、新しい憲法と国家体制に作り替えられることになり、現代に至ります。

専横を極めた平家は、源氏を中心とした反勢力に追われ、壇ノ浦で終焉を迎えます。


力こそ正義という思想を追求した国家体制は、どちらも上手くいきませんでした。長い歴史の中で、平家の専横と軍部主体の政府の期間は非常に短く、多くの問題点があることは明白だと感じます。


社会構造の変革における共通点と違い


平家と軍部主体の政治は滅ぼされる結果になり、その後は反省を活かしてより良い社会構造にしようという動きになります。興味深いのは、共通していることも多い中で、最終的な結果が異なる点です。

共通しているのは、どちらも変革前の問題点を改善するために、分析・研究をしたことです。

平家の専横による最大の問題点は、当然ながら他の武家や諸勢力に不満が溜まっていったことです。源頼朝はこの問題点を改善するため、後の世では「御恩と奉公」と言われるGive and Takeの関係性を打ち出します。この構造は、中世ヨーロッパなどでは多く採用された封建制度と言われる構成でもあります。協力してくれたら見返りとして領地や報酬を与えるという、非常に分かりやすい連携構造です。

一方の軍国主義の日本は違った形へ変革していくことになります。武装を完全に放棄し、新しく民主的な憲法のもとで政治を行っていく形になります。軍国主義につながるような教育や制度も合わせて禁止されることになり、黒塗りの教科書などは非常に有名です。戦争を起こさない国へと作り替えられたわけですが、後の朝鮮戦争に伴い警察予備隊という自衛隊の基が編成され、今の構造になっていきました。

軍事力の打倒という点では共通していますが、完全に滅ぼされた平家と、国体を護持することができた軍国主義日本の違いが、その後の変革の違いに繋がっているのではないでしょうか。武力・軍事力の扱いについて違いがあるのは非常に興味深いところです。

平安時代は興味深い時代


今回は、平安時代と現代の政治構造と軍事力の関係性と推移について振り返ってみました。共通している部分も多く非常に興味深い歴史だと、改めて感じました。

平安時代は現代のようにスマートフォンやインターネットなどもなく、人々の娯楽は今とまったく違っていると言えるでしょう。特に恋愛については遊興の側面もあり、短歌を贈り合うなど非常に風流で面白いと感じる部分も多いです。

そんな文化の違う社会の中でも、渋滞にうんざりしたり、挙動不審なおっさんを見て面白がったりと、今と変わらないような日常がそこにあったと教えてくれる枕草子(随筆 : 清少納言著)は、歴史を知る情報として非常に重要で素晴らしいと思うのです。


今と共通した点が多い平安時代について、もっともっと知りたいと思うのでした。




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